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コピーライターのこと、コピーのこと。

写真と本文は関係ありません


専門学校で宣伝会議が主催するコピーの賞「宣伝会議賞」のことを
取り上げたので、珍しく賞の経過や結果を見ていた。

それを見て思ったことがある。(ま、私のようなコピーライターに
言われたくもないだろうが…)

入賞した作品を見ていると、いやいや本当に言葉を操ることに長けている。

「なるほどなぁ」と思うことしきりである。

上手い、というのかもしれない。

それはつまり、何だかテレビ番組の笑点を見ているような感じなのだ。

そこで気がついたのだが、今応募している人たちとは脳みそや心が
われわれの時代とは違うのだ。

全共闘・学生運動・反体制・革命・ロックミュージック・反戦歌…。

そんなイデオロギーがベースになって言葉を発していた(コピーに
載せていた)人がいたり。

文学を成す前の、ある意味腰掛けの段階で言葉を職業に出来ることで
この世界に身を置いたり。

言うなれば「思想」を背景に言葉を選んでいたコピーライターが
数多くいた時代とは、すっかり変わってしまっている、ということ
なのだ。

もちろんそれがいいことだったのかどうかは分からない。

ただ、共感できたのだ。

なぜなら、そこには共通の感覚が存在したから。

世の中のことを素直に見ることができなくて、いろいろなことに
不満や欺瞞を感じていた。

その割り切れない気持ちを、どう表したらいいのだろう?

そんな気持ちを秘めて書かれていたコピーが確かに存在していた。

ところが、今のコピーライターやコピーライター志望の人にはそんな
背景は全くないのではなかろうか。

形而上だの不条理だの、友人たちと語り合うときの言葉さえ、おそらく
まるっきり違っているだろう。

そりゃそうだろう。

ものごころついたときからパソコンがあって、スマホがある。

女性にも、車にも、洋服にも、お酒にも、音楽にも…。

ほとんど興味がない…なんて人もいっぱいいる。

多分、私たちが憧れたコピーライターが書く世界には、そんなものを
匂わせる言葉が隠されていた。

ちょっとばかし不良、だけど、いい奴。

今のコピーは本当にいい子だ。

すっきりと、そして爽やか。

どんなことにも深入りはしない。

だから火傷もしないし、号泣することもない。

そうなんだ!

幸福な時代が、今、ここに、目の前に、あるんだ。

今は、幸せなコピーが溢れている。

考えてみたら以前は、幸せを願うコピーだったような気がする。

幸せを謳歌するコピー。

それはそれでいいんじゃないか。

飢えた感覚より、満ち足りた感覚。

それが大切なんだ。

さて、そんなコピー、じぶんに書けるのだろうか?