【短編】ふたりのトモコ
NEW
「ふたりのトモコ」
【友子と知子】
同じクラスにふたりのトモコがいた。
ひとりは「友子」。
もうひとりは「知子」だった。
どちらも10歳で、同じ小学校の同じクラスだった。
友子は相当に悲惨な環境にあった。
そして友子に父親はいなかった。
暮らしているところは一階が居酒屋、二階が住居となっていた。
居酒屋の引き戸を引いてカウンターを見ながら右へ進むと
そこに階段があり、学校から帰るとその階段を上がって
ランドセルを置いて銭湯に行くのが日課だった。
もう片方の知子は経済的には恵まれていたが、幸福かと問われれば
そうではない、という言い方になる。
この知子もまた母親しかいなかった。
つまりどちらも母子家庭ということだ。
知子のママは料亭を経営していた。
だからいつも高そうな着物を着ていて、お化粧も濃かった。
そんなこともあって、ふたりは似ているようで全く似ていない
母子家庭の子どもだった。
40歳近くになった友子はそんな子ども時代を思い出していた。
お母さんはいつも酔っていた。
お昼間でも、夜でも、いつだって酒くさかった。
お母さんには付き合っている人がいて、その人は毎晩うちのお店に
やって来ていた。
棚橋さんて名前だったけど、ガリガリに痩せていて、絶対にどっか
悪いんだと私は思っていた。
棚橋さんには奥さんがいて、いや正確に言うと奥さんはどこかの男の
人と逃げていってしまったから、近くにはいなかったけど。
いつも指や爪が油で黒くなっていた。
お母さんが酔っ払って寝ている時には、よく私の身体を触ってきた
けど、どうしてもあの汚れた指と爪が気になって嫌で仕方なかった。
棚橋さんは見た目的にはぜんぜん女の人に興味なんてなさそうなのに、
実はものすごく好きだということを私は知っていた。
だって、私がそのギセイシャになっていたんだから。
だって10歳の私にそんな悪戯をするなんて、スケベそのものだよね。
棚橋さんは働いているんだかどうだかも分からないような人で、
昼下がりにぶらっとやって来て、お母さんの目を盗んで私を触ってきた。
お母さんは夕方になると一階の店に降りていく。
お店の準備があるから。
棚橋さんは二階の居間みたいな部屋に寝転んでテレビを見ている
振りをして私をチラチラ見ていた。
午後3時に開く銭湯に、私はいちばん風呂が好きだったから、
夕方のお母さんが店を開ける直前には、多分、風呂上がりで、
とてもいい匂いがしていて、肌もつるつるでうれしかったし、
その時間がとても大切だったりしたのに。
わずかな幸福感を壊しに来るのは決まって棚橋さんだった。
お母さんが階下に行くと、すっごい作り笑いをして、ちょっと
荒い息をしながら、傍まで近づいてきて、世間話でもするみたいな
口調で「友子」って耳元で言うと、ついさっきまで包まれていた
絹みたいな時間が、ずるずる無くなってしまって。
私は窓から見える空を眺めながら、こういう状況をじぶんは受け入れ
なくては生きていけないんだろうな、と漠然と考えていた。
【ママのこと】
知子は母親が買ってきた洋服が気に入らなかった。
脇のところがキュッと細くなっていて、そこからふわ〜って
二の腕のところまで膨らんでいて、手首の所でまた細く絞って
あった。
ついこの前まで賑々しく開催されていたオリンピック…。
(てか、私は全く興味がなかったけどね)
東海道新幹線なんていうのも開通したとか…。
(内心、まだ東海道なんて言うんだ…と思っていたけど)
気がつかないうちにいろんなことが、どんどん変わっていく
ことに私は嫌悪感を感じていた。
そ〜んな今どきに、このブラウスはあきらかに変!
ママはそれでも返品するのが面倒だから(そうに違いない)
何とか私にそれを押しつけようとしていた。
そうそうママは料亭って言うのかな?
お金持ちだけど、絶対に性格が悪そうなおじさんばかりを相手に
するお店を経営していた。
もっともママは私が知らないと思っているけど、あの歌舞伎役者の
おじさんにかなりのお金を出してもらっていたはず。
だって、そのおじさんはママと私が暮らすマンションに当たり前
みたいな顔をしてしょっちゅう来ていたし。
ママが着ている着物の胸元から手を差し入れて、ママを喜ばせて
いたもん。
そんな時にママは変な声になって、私には理解できないような
動き(腰をくねくねさせるの)をしちゃうの。
で、私にウインクして(つまり自分の部屋に行きなさいって意味)
おじさんをたしなめて優しく言うの。
「おいた」しちゃ、だめよ。
おいた!(なんじゃそれ!)って言われると、おじさんはうれし
そうな顔になって、バスルームに向かう。
よくよく考えたんだけど「おいた」ってのは、悪戯(いたずら)に、
あえて「お」を付けて丁寧な言葉にしたんだと思う。
歌舞伎役者のおじさんは悪戯が好きなんだね。
うちでは「おいた」ばかりしているおじさんだけど、実はかなりの
有名人なんだ。
それをもらうとみんながひれ伏すような勲章?みたいなものを
そのうち必ず貰うらしい。
そんなわけで、ママはそれなりにお金を持っていて、よく高級な
フランス料理店とかにも行っていた。
おじさんは京都に明るいみたいで、ママもよく京都に呼ばれて
いた。
でもママは、絶対に京都にも女(ママが女って言うからね)がいる、
なんてひとり言みたいに言っていた。
ま、そんな環境だったから、私はそこそこ贅沢に育てられていて、
習い事もいっぱいさせられていた。
バレエ、日本舞踊、ピアノ、絵画、スイミング、書道、英語。
もう少し大きくなったらそれに加えて、茶道、華道も習わなきゃ
いけなくなる。
何のためにそんなことしなくちゃいけないのか、よく分からないけど
今のところはなんとかこなしている。
あ!
肝心なことを忘れていた。
私は…。
お人形さんみたいに可愛い…らしい。(ホントだよ)
会う人会う人、全員が必ず私のことを褒めそやすから、ママは
そのたびに機嫌が良くなって大笑いするの。
赤〜い唇の口角を上げて、せっかくの綺麗な真っ白な歯を手で
隠しながら、思いっきりね。
まだ10歳なのに、ママは私のことを女優にしたいと本気で思って
いるみたい。
もちろん、私も実はその気満々だけどね。
【お母さんとわたし】
友子は12歳なっていた。
その頃にはお母さんの彼氏は棚橋さんではなく、山田さんという
人になっていた。
棚橋さんが私の身体を触ったりしていることを知ったお母さんが
激怒した。
以来、ぷっつりと棚橋さんは来なくなったけど、こんどは山田さんが
お母さんと付き合うようになった。
山田さんは背が低くて小太りで黒縁の眼鏡をしていて…ま、簡単に
言うと、とても目立たないおとなしそうな人だった。
お母さんにはいつも彼氏がいて、それはそれで面白かった。
男の人って本当にいろいろなんだってことを知った。
こんどの山田さんは広告関係の仕事をしているってことだった。
私はすっかり大人っぽくなっていて、どう見ても小学6年生には
見えなかった。
胸も立派に(笑)ふくらんでいたから、よくお客さんからも
からかわれた。
でもそんなことは全然気にならなかったし、むしろちょっとうれしい
みたいな気持ちになった。
お母さんはそんな私に嫉妬しているようだった。
ここに女は自分ひとりだと思っていたのに、もうひとり増えた。
そう、それは私だったのだ。
嫉妬しながらもお母さんは私をうまく使って、お客さんを接待
させた。
酔ったおじさんたちはいつも私のことをいやらしい目で見て、
隙があればすぐに触ろうとした。
棚橋さんみたいにナイショで触るわけじゃないから、お母さんも
あまり怒ったりしなかったし、中には猛者がいて、お母さんから
死角になるようにうまく自分の背中で視線を遮って、触っている
ところを隠して触る人もいた。
でも、そういう人はたいていとっても触り方が上手だったから、
12歳の私は気持ちが良くなることもけっこうあった。
そんな時山田さんは、お店のカウンターの端っこからその様子を
見て見ぬ振りをしていた。
ある日、いつもようにエッチなおじさんに私を触ってきた。
普通なら服の上からおっぱいを触ったり、太ももに触れたりする
くらいなのに、その日はやけに大胆だった。
お母さんもかなり酔っていて山田さんの横に座っていちゃいちゃ
していたから、そのことに気がつかなかった。
エッチなおじさん(名前は新田さんだったかな)は、山田さんが
座っているカウンター席の真後ろにある小上がりで飲んでいたから、
それこそまるっきりの死角になっていたことをいいことに、胸元
から手を入れてきて私の胸の突起を探そうとしていた。
私は紺色のニットのカーディガンを着ていて、そう、季節は確か
晩秋だったからだったから、ちょっと寒かったんだ。
それで新田さんの指が想像よりも冷たかったから、少し頭が覚醒
して冷静に今の状況を反芻していた。
新田さんは初めて見るような真剣な顔をしていて、とても困難な
仕事を任された技術者みたいだった。
なんとか目的のものに指が届いて、新田さんはため息をついた。
私は何だかものすごくいいことをしたような気持ちになっていて、
頑張った新田さんの頭をぎゅって抱きしめてあげた。
すると新田さんの目がみるみる潤んで、びっくりするぐらい大きな
涙の粒が湧いてきて、ぼろっぼろって流れた。
【ノアの方舟】
12歳になった知子は日曜学校に通うようになっていた。
日曜学校で讃美歌を歌うんだけど、いつも私はうっとりしちゃう。
もちろん、それは自分にだけどね。
歌っている自分の姿を想像すると、本当に可愛いくて…。
きっと私はとってもきれいな女の人になるんだろうな、って変な自信が
湧いてくるの。
本当はカソリックとプロテスタントの違いもよく分かっていないけど、
同じマンショに住んでいるお医者さんの娘さんが誘ってくれたから
教会に行くことにした。
なんとなく響きが良かったから。
「日曜学校」なんて。
しかもお話しが面白かったから、けっこう気に入っちゃったの。
特に「ノアの方舟」のお話しは最高だった。
自分がもしその方舟に乗っていたら、どんなんだったんだろうか…。
象とかキリンとか、熊とかワニとか。
そんな動物たちと一緒に舟に乗っている。
もうたまらなく素敵だよ!
動物なんて好きじゃないけど、そんな風に動物たちが傅いている様子を
想像するのは愉快なことだったし。
通っている子は、牧師さんのお話しが始まる前に「天にまします我らの神よ…」って
言葉を最初に言って、それから自分自身の誓いみたいなことを言うんだけど、
それもお芝居のセリフみたいで、めっちゃ好きだった。
日本舞踊はずいぶん上手く踊れるようになったと思っている。
そもそもママの彼氏の歌舞伎役者が、どうしても習わなきゃだめだ、って
言うんで日舞を習うようになったんだけどね。
しかも流派は「阿久野流」じゃなきゃ許さない、なんて主張するから、
ずいぶん遠い所にお稽古に行っていた。
踊りも流派によって少しずつ違っていて、吉野旦那、あ、ママは彼氏の
ことを吉野旦那って呼ぶからね。
(だから私も吉野旦那って呼ぶことにしてる)
その吉野旦那が尊敬している役者さんの流派が阿久野流なんだって。
でも確かに他の流派よりいいかも。
動きや表現がちょっと大げさなところが私も好き。
もう少し大人になったら「藤娘」を踊りたいなんて思っている。
だってもう本当にヒロイン!って、感じなんだもん。
そんな私は実は親友がいる。
小学校が同じで、名前が偶然「トモコ」だったことが、きっかけで
仲良くなった「友子」。
友子は子どものくせに女っぽくって、ちょっと憧れ。
私はどちらかと言えばお人形さんみたいな可愛さだけど、友子は違うの。
ザ・女。
だけど、友子んちはあまりお金がなさそうな感じ。
それでも構わないけどね、友子とは気が合うし。
あ、それから二人の共通点はママしかいないこと。
俗に言う母子家庭。
気にしてないけどね。
そんなことどっちでもいいと思ってる。
ふたりでいろんなことを話していると、嫌なこととか忘れちゃう。
うん、友子は私の味方なんだ、って思えるからかな。
【17歳の冬】
12歳になって、ふたりはおぼろげに自分の将来が見えてきていた。
10歳の頃は、そんなことはなかった。
起きていた出来事は一瞬のことで、それはまさに偶然起きていた
ものだと思い込んでいた。
ところが12歳になると、今までのことは偶然ではなくて、必然的に
起きてきたことに気がついてきた。
友子は棚橋さんのことや山田さんのこと、それから新田さんのことも
あまり深くは考えたこともなかった。
でも、男の人(って言うか)おじさんみたいな人がいつも自分の近くに
いることが何となく当たり前なんだ、と思えるようになってきていた。
知子も同じように考えていた。
クラスメートとは全く違う世界をいっぱい見ていた。
いつも、高級なんだけどちょっと野暮ったい服を着せられていたけど、
そんな服を着ていると、大人たちは他の子とは違った対応をするし。
100パーセント間違いなく「可愛いお嬢さん」と言うし。
ママと旅行に行くと必ず高そうなホテルに宿泊するから、そういう
場所に行ってもなんとも感じなくなってしまったし。
ふたりは自分を導く新たな扉が現れたことをしっかり自覚していた。
ふたりは中学になると離ればなれになってしまった。
友子は地元の公立中学へ。
知子はミッション系の私立中学に行くことになった。
それがひどく寂しかったので、中学に上がる直前の春休みに、友子は
友子の家に泊まりに行って思い出話をたくさんすることにした。
知子のママは何だかとてもいい人で、友子にもとても優しくして
くれていた。
友子は以前から時々泊まりに行っていたけど、夜遅く帰ってくる知子の
ママは、寝ているふたりのトモコをいつもしっかり抱きしめてくれた。
友子のお母さんは、そんなことは絶対にしなかったから、そんな時に
友子は不思議な幸福感で満たされた。
だからいつからか友子も知子の母親をママと呼ぶようになっていた。
友子はママが大好きだった。
ママは時々、二の腕に注射を打っていたけど、きっとどこかが悪いんだ、
と思っていた。
ママは注射を打ち終えると目を閉じて、いつも小さくため息をついた。
17歳の冬は友子にとって忘れられない冬になった、
お母さんが急に引っ越すことを決め、大好きな知子やそのママと
簡単には会えなくなってしまったのだ。
もう数え切れないくらい多くの男の人とくっついたり離れたりして
いたお母さんが、結婚するって言い出した。
お店も閉めて、こんどの彼氏、近藤さんと一緒に暮らすと。
近藤さんは普通のサラリーマンだったけど、出張の時におかあさんの
お店に来ていた。
その頃のお母さんはお店のお客さんも少なくなってきて、経済的にも
苦しかったみたいで。
そんな時に近藤さんが優しくしてくれたから、あっという間に好きに
なってしまったみたい。
お母さんは40歳で2回目の、あ、正確に言うと私を産んだ時は父親の
籍には入っていないから、初めての結婚をすることになった。
友子の父親…。
お母さんに何度も聞いたけど、お母さんはいつもそれが分かんないんだ
よね、って笑いながら答えるだけだった。
本当は分かっているはずだ。
友子はお母さんがとぼけて誤魔化しているだけだって思っていた。
それはともかく、近藤さんはすごくいい人で、55歳なんだけど
むっちゃ真面目で今までに結婚もしたこともなければ、女の人と
付き合ったことさえない人だった。
おそらくセックスもしたことがなかったと思う。
だからお母さんは近藤さんの童貞を奪った女性、ということになる。
やたらとやりまくっていたお母さんとは正反対とも言える生活を
送っていたのに、近藤さんとお母さんはとても仲良くなって、
トントン拍子で結婚することになった。
何だかうれしいような寂しいような不思議な気持ち。
心配なのは本当にこのままちゃんとお母さんが浮気とかしないで
近藤さんと夫婦を続けられるかなぁ、ってことだけど、こんど
引っ越すところは今のところからずいぶん離れた場所で、しかも
南の島だからお母さんが開放的な気分になっちゃったら、本当に
冗談抜きで浮気しちゃうような予感がすること。
ま、考えてもキリがないし、なるようにしかならないけど。
とか悩みながらも、友子は新たな生活への期待感もあった。
高校2年になっていた友子は親友の知子と遠く離れてしまうことに
なった。
実は高校生になってから、あれほど仲が良かった知子とも、あまり
会っていなかった。
垢抜けないままの友子とは異なり、高校生になった知子はさらに
きれいになって、おまけに化粧もするようになっていたので、
すっかり大人の女になっていた。
だから垢抜けない友子のことを避けるようになっていたのかもしれ
かった。
【本物の大人】
痛みは知子が想像していたほどでもなかった。
ベッドのシーツを見たら、濃いピンク色が残っていた。
気がつかなかったけど、窓の外では蝉がやかましく鳴いていた。
身体は汗でぬるぬるしていたし、終わった時には早くシャワーが
浴びたい、ということしか考えていなかった。
ジッポーの蓋を開ける音がしたので振り向くと、端正な顔立ちの
若い男がタバコをくわえていた。
大学の医学部に通っていたその男とは、そのいちどきりでそれから
知子の前には現れなかったけど…。
意外なことに私は身持ちが堅かった。
友だちには遊んでいると思わせておきたかったから、わざと知った
かぶりをしていた。
でも、暑さでどこかのネジが落ちてしまったのか、その軽い男の
誘いに乗った。
初めてああいう営みを行うためのホテルに行った。
そこの駐車場は垂れ幕みたいなやつが何枚かぶら下がっていて、
入る時は、なにこれ、洗車機みたい、て思っていた。
その時私は少し笑っていたに違いない。
男はオープンカーに乗っていたけど、いきなり道端に車を停めて幌を
たたんでいたから、その時にはそこに入るつもり満々だったわけ。
今となってはどうしてその男とそんなことになったのか、どこで
会ったのかさえも覚えていないけど。
男のタバコを指でつまんで取り上げて、知子も同じように吸って
みた。
ほんの少ししか開かない窓からの風で煙が揺れた。
今さらだけど男がエアコンの風量を強にした。
大人ぶっていた知子は、17歳で本物の大人になったんだと
思っていた。
高校の帰りはいつも駅のトイレで着替えていたから、制服が
入ったチェックの鞄はかなり膨らむ。
それを駅のコインロッカーに入れていて、遊びに行った帰りに
出して家に帰っていた。
ママは深夜にしか帰ってこないから全然ばれなかったし、お化粧も
落としていたから、ママから見れば知子は相変わらずいい子そのもの
だった。
17歳…。
たかだかバージンを無くしただけの夏。
知子は思い出とも呼べないような退屈な日々が続くことを恐れていた。
【それぞれの未来】
お母さんが結婚してから、友子はすっかり普通の女の子に
なっていった。
いろいろと何だかんだとあった子どもの頃とはうって変わって、
高校生活は充実した毎日になっていた。
中学生の頃はまったくできなかった勉強でもめきめき成績が
上がり、学年でもトップクラスになった。
その結果、友子は現役で難関の国立大学の文学部に合格し、
美学(エクセティクス)を専攻した。
20歳になった友子はすっかり美しい大人の女性になっていたが、
あえて化粧もほとんどせず、眼鏡をかけ服装もコットンパンツに
ポロシャツ、といったようなラフなスタイルで通していた。
それでもさすがによくふくらんだ胸はポロシャツの上からでも
はっきりと分かり、パンツ姿は逆にきれいな形のヒップを却って
強調することになっていた。
子どもの頃に起きたいくつかのできごとは、もうすっかり忘れて
しまっていた。
というより、忘れることにしたのだ。
お母さんが近藤さんと結婚して、まるで以前のことは何も覚えて
いないように振る舞うのを見て、友子もそうすることにした。
それが自分にとっていちばんいいんだ、と自身に言い聞かせもした。
だから表面的には友子は聡明で快活。
一見しただけでは心に暗闇を持っているような人には全然見えない
はずだった。
このまま大学を無事卒業して就職。
結婚をして、ごくごく平凡な暮らしをしたいと切実に願っていた。
ちゃらんぽらんだった母親も、結婚してからはいい奥さんに徹していて、
お酒も飲まなくなっていた。
心配は杞憂に終わっていた。
でも、こんな日々が続くことに友子は怯えていた。
こんなに順風満帆な生活が本当にこのまま続いて行くのだろうか?
大学の図書館で資料となる文献の文字を目で追いながら、友子は
時々猛烈な不安に苛まれていた。
知子が二十歳の時にママが捕まった。
覚醒剤だ。
実はそれまでにも2回ほど逮捕されていて、そのたびに家に刑事が
来て、いろんなところを開けては覚醒剤を見つけていった。
2回目の時にはお客さんにバレて、経営していた料亭にはすっかり
客が来なくなっていた。
そして今回で3回目…。
ママは目に見えて痩せてしまい、貯金はもちろんあらゆるものを
手放して換金したけど、とうとう売るものもなくなってしまった。
お店の権利はもう私の知らない人が持っていた。
そして当然のように私の生活も一変した。
あんなにちやほやされていたのに、今は誰ひとり私に優しくして
くれる人はいなかった。
ママと暮らしていたマンションを出たのはいつ頃だったか…。
大学への進学も諦めて、私は風俗店で働いてママと暮らしていた。
ママは毎日、空を見上げてひとり言をつぶやいていた。
あんなに華やかな雰囲気に包まれていたママは、まだ40代なのに
枯れ木みたいになってしまった。
それから、ママが外出するのは売人と会う時か、意識がもうろうと
している時だけ。
顔のやたらと濃い外国籍の男の売人からママは欲しいものを買って
いた。
でもお金がないから、ママはその外国人にセックスをさせて、分けて
もらっていた。
ある日、その外国籍の男にフェラチオをしたら、あっ、という間に
行ってしまったので、味をしめてそれ以来フェラチオをすることに
した、と言っていた。
だって楽ちんだからさ。
ってママ。
私も似たようなことして…、なんて思ったら笑えてきた。
今はいいことなんて何もないけど、知子は時々楽しかった昔のことを
思い出していた。
その思い出の中には必ず友子がいた。
【昭和の終わりに】
知子が愛したもうひとりの友子は40歳近くになっていた。
そしていろいろなことを思い出していた。
あれから知子はどうなったんだろう?
じぶんはすっかり普通の暮らしをしている。
大学の同級生だった男性と付き合って、結婚した。
何ひとつドラマチックなことは起きなかった。
結婚式には知子に来て欲しかったけど、連絡先が分からなかった。
お母さんは相変わらず近藤さんと仲よくしている。
そして昭和が終わり平成になっていた。
ある日、街を歩いていたら知子によく似た人を見つけた。
すっかり痩せてしまい身なりもあまり良くなかった。
ねぇ、知子だよね?
返事もしないでその知子らしき女性は雑踏に消えていった。
知子はもう生きることがすっかり嫌になっていた。
でも大の仲良しだった友子のことを忘れたことはいちどもなかった。
友子は幸せに暮らしているのかな?
そんなことを想像するとじぶんも幸せな気持ちになる。
友子、元気にしてる?
友子、私はもうダメ。
何をやってもうまくいかなかくて、身体まで売ったよ。
最初は綺麗だ、綺麗だって言われてさ、買ってくれる人も
たくさんいたよ。
でも何回も性感染症にかかって、体調を崩しちゃった。
妊娠もしちゃって、何回も堕ろしたよ。
医者に言われて子宮を取った。
知らないうちに涙がいっぱいこぼれてきて…。
うん、久しぶりに泣いたら、わたし人間みたいだ、って
思ったよ。
どうして突然そんなことを思ったのかな。
そうそう今日、友子とすれ違ったよ!
声をかけてくれたね。
でも…。
かつて同じクラスにふたりのトモコがいた。
ふたりはとても気が合い、姉妹のようにじゃれていた。
そのうちのひとりは40歳を目前にしたある日、大量の睡眠薬を
飲んだ。
意識を失う直前、何かを言ったようだったが、もちろんその言葉は
誰にも聞かれることはなかった。