【代理店時代−4】
今、改めて当時のコピーを見て
みると、けっこう時代を感じて
しまいます。
それは有名なコピーライターが
書いていたコピーも同じです。
やはりバブル時代のコピーは
今見るとちょっと恥ずかしい
感じがするものが多いようです。
そして、ご多分に漏れず私も
そんな感じのコピーを書いて
いました。
とは言え、その頃の名古屋の
コピーライターの中では相当に
変わったコピーを書いていたと
思います。
例えばファッションビル(今や
死語?)のシーズンポスターの
コピーは
私は正しく訛っていたい。
バーゲン告知のコピーは
希望と現実が日食する日。
こんなコピーを書いていました。
もちろん、私自身としては、
コンセプトも踏まえ、ちゃんと
考えて作ったコピーでした。
私は正しく訛っていたい。
このファッションビルは藤が丘
という地下鉄の終着駅にあった
ので、都心にあるファッション
ビルとは違う価値観を見せたか
ったんです。
つまり地域に根ざしながら独自
の(ファッション)提案を行う
ような、そんな気持ちを正しく
訛る、という言葉で表したん
です。
希望と現実が日食する日。
このバーゲン告知のコピーは、
バーゲンというイベントを
なかなか起こらない日食と重ねて
表したコピーです。(説明など
しなくても分かるとは思います
が…)
そしてこれらのコピーはCCN賞
に応募しても、あまり受けません
でした。
ただ東京コピーライターズクラブ
から審査に来てくれたある有名
コピーライターは激賞してくれ
ました。
必ずTCC賞にも入る!と言われ、
その気になって(TCC賞にも)
応募しましたが、あっさり落選
しました。(笑)
まとめると、それなりに地元の
広告賞やCCN賞には入賞(入選)
しましたが、コピーライターなら
誰もが必ず意識するTCCには
入ることができませんでした。
(その頃友人の大橋君は見事に
TCC賞を射止め数十年ぶりの
名古屋在住のコピーライターと
して会員になりました)
その後、フリーになってTCCの
有名なコピーライターと一緒に
仕事をする機会があり、その時に
さまざまな裏事情を聞きました。
私の応募作が選ばれなかったのは、
私の実力が足りなかったからです。
そういうことではなく違う部分で
組織やそれに伴う忖度を知り、
妙に醒めてしまいました。
考えてみれば当たり前のことです。
私は自分が審査員をしている時、
自分の作品が出品されていても
票を投じないことに決めてい
ます。
今までにいちどもそういうことは
したことがありません。
選挙ならいざ知らず、作品の良否を
決めるのはあくまでも第三者だと
思っているからです。
そしてある時から、何らかの理由が
ある時を除いて賞に応募することは
止めてしまいました。
誤解されてしまうと困るので、補足
しておきますが、賞を取ることは
素晴らしいことだと思っています。
特にプロダクションやフリーの方が
受賞を励みに頑張ることに全く異論
はありません。
ただ賞を取ることを目的に仕事を
することには大いに疑問を持ちます。
あくまでもクライアントにとって
有益な提案がベースにあり、その
結果が賞に応募するにふさわしい
内容であった場合には応募する。
それが本来の賞のあり方だとは
考えています。
【個人的な意見ですが】
自社が媒体社であることでCM枠を
自由に使い、なおかつ媒体料金を
支払ってもいないものが、あたかも
広告のような見せ方をすることに
よって賞を受賞することには疑問を
感じます。