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8月6日

写真と本文は関係ありません


以前、山口瞳さんの本を読んでいたらこんなことが書いてあった。
それは山口さんが、サントリー宣伝部に勤めていた頃の話である。
サントリーの就職試験を受けたコピーライター志望の若者が、かなりの倍率の1次試験を突破して面接にやってきた。
2次試験の面接でも彼は面接官の質問によどみなく答え、学生であるにも関わらず広告用語を熟知しており、非の打ち所のない受け答えをしていたそうだ。
けれども、その非の打ち所のなさが逆に気になった山口さんは、彼にこう質問したそうだ。「ところで、あなたは8月6日と9日、そして15日は何の日だか知っていますか?」
彼は「知りません」と答えた。結果、山口さんは彼を採用する気にはなれず、採用不可にするように社の採用担当に進言したとのこと。
さもありなん、である。この話は相当前のことだと思われる。
何と言ってもまだ山口さんが作家として活躍する以前の話、サラリーマンとしてサントリーの宣伝部に勤めていた頃の話なのだから。
私は原爆を投下した、と言う理由でアメリカを責める気にはならない。
戦争は狂人がイニシアティブを握るものだと思うから…。
で、なければそもそも戦争は起こらない。とは言え、である。
その戦争であっても最低限のモラルはあった。
何せ「戦争法」などという国際法が事実存在していたのだから。
つまり、宣戦布告の義務、とかである。
あるいはダムダム弾は使わない、とかもその中の事例である。
で、アメリカ人は真珠湾攻撃を仕掛けてきた日本が悪い!原爆は戦争を終結させるために使われたのであって、アメリカは全く悪くない、とキッパリと言い切る。
先日のテレビ番組にも広島に原爆を投下した際に、その模様を撮影していたアメリカ人が出演してそう言っていたそうである。
真珠湾攻撃については真相がまだよく分かってはいない。日本軍はアメリカの日本大使館に向けて、宣戦布告の旨を通告するよう電文を送ったが、大使館員が不在で実際にその電文を見たのが数時間後であった。
その前にすでに真珠湾攻撃が行われてしまったとか…。
真相は分からない。
ただ、ここで思うのは「原爆」によってもたらされた甚大な被害と、その後の被爆者のことを考えれば、それを「教訓」あるいは「戒め」としてアメリカも、あれは間違っていたと認めるべきだということである。
もしも仮に原爆投下が「戦争終結のため」という正義であれば、(そう言い張るのであれば)アメリカはベトナム戦争でも原爆を使うべきであったし、イラクにも核ミサイルによる攻撃をすればいい、ということになる。
だって、それは「正義」なのだから…。間違っていないというのであれば、その後も放射能をまき散らす兵器を使うことに何ら逡巡する必要はない。
日本が正しかった、などとはもちろん思っていない。
細菌兵器の研究で中国人を「丸太」と呼んでいたことも事実である。南京大虐殺も、従軍慰安婦問題でも日本は弁解の余地はない。
しかし、今でもそのことをアジア諸国から糾弾され、罪もない日本人留学生がビール瓶で頭を殴られたり、サッカーの応援に行っただけの日本人が「小日本人」などと侮辱されている。
それもまた、事実である。
これはどういうことなのか?つまり、原爆を世界で初めて投下した国がアメリカではなかったら、世界中の国はどう思ったであろうか?ということだ。
もし、ドイツが、イタリアが、そして日本が、その最初の国であったなら…。
何だか、世界はアメリカに寛大である。
ベトナム戦争でナパーム弾を使い、枯れ葉剤でベトちゃん・ドクちゃんらの人生を台無しにしたアメリカは、それでも平然としている。
「正義」などは戦争ではありえない。だからこそ、もういちど「原爆」について考えなくてはならないのではないだろうか…。
そして、私たちは日本人としてやはり、永遠に「原爆」については語り継いでいかなくてはならない。
アメリカは不思議な国である。
大リーグで活躍する野球選手は、肌の色に関係なく拍手と歓声を受けている。
その影でKKK団は白人至上主義を掲げて活動している。
かつてベトナム戦争で疲弊していた頃のアメリカ人はマクガバンを大統領候補に押し上げ、あわや、というところまで対立候補を追いつめた。
実際、ジーンズをはいた平和主義者のジミー・カーターはマクガバンの後継者として大統領に選出された。自由と平和の国、アメリカはまた、日常的に銃による殺傷事件が起きている国でもある。
エノラ・ゲイで広島に原爆を投下したパイロットは英雄気取りで、全米中で講演会を開催していた。
講演会終了後は著書にサインをして、微笑みながら本の販売に余念がない。
スミソニアン博物館にはエノラ・ゲイが展示されている。
それも被爆の悲惨さを伝えるためではなく、戦争を終わらせた美談の象徴として…。
国やその国の人々を憎むのではなく、人間の愚かさを知り、世界中の人々たちが改めて「人間として、してはいけないこととは何か?」を考えること。
これこそが唯一「原爆」を投下された国として、日本が世界中に発信しなくてはならないメッセージではないだろうか?
「愛は地球を救う」なんて偽善的で表面的な番組をつくり、子どもたちが瓶に入れた小銭を寄付する、といった行為で自己満足させながら「いいことしちゃった…」と思わせる。
そんなことが私は子どもたちのモラルの醸成につながるとは到底思えない。
できれば局さんたちよ、全局協力して、8月6日だけは24時間「原爆」についての番組を流してくれないだろうか。