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「入り口を変えるブランディング」


「入り口を変えるブランディング」1

【はじめに】

買い物をする、ということはどんなことなのか?
そんなことを考えてみると、あることに気がつきます。
それはつまり、ものを買うと言うことは即ち、扉を開いて商品を売っている店に入る、ということではないかと。
ネットであれば、その商品を販売しているサイトに飛ぶこと。
その行為は、店の入り口(扉)を開くこと、と言い換えてもいいかもしれません。

しかしその入り口を消費者はどうやって見つけ、選び、決めるのでしょうか?
数多ある入り口…。
商品を販売している店は、各々に工夫を凝らし、少しでもその扉を開き、店内に入ってもらえることを期待しています。
けれども消費者は簡単には扉を開いてはくれません。
それどころか、入り口にさえ立ってくれません。

ところで、ブランディングとは、その入り口に導くために行うものなのではないでしょうか?
そしてそれこそが、私が考える「入り口を変えるブランディング」なのです。

「ブランディング」の解釈はその人がどのような立場で仕事をしてきたか、あるいはどのような環境で俗に言う「マーケティング」
という概念と関わってきたかによって異なります。

マーケティングとは、モノが売れる仕組み作り。
またそのために行われるあらゆる活動。

我々はそんな風に教えられてきました。
けれどもそれは立場、つまり広告という業界で働いている人たちが、自分の置かれた場所によって「為すべきこと」の解釈が
微妙に違ってくるのです。
それはそれである意味当然なのですが。

例えば、それこそマーケティング担当であれば、企業の信頼感、期待感などを少しでも上げるためにさまざまなことを提案するはずです。
それは歴史を遡って創業時から守り続けてきたポリシーや、製品にまつわるヒストリーなどをベースに、より望ましいイメージの構築と
知名度をアップさせて好感度を上げる戦略の提案です。

これはオーソドックスな脈絡から「ミッション」「ビジョン」「バリュー」というコンテンツに分け、自社の優位性を見つけ、それらを意識
することによって生まれる自社への帰属意識とロイヤリティの醸成を促すものです。
また今の主流はそれらをさらに強固にするための「パーパス」(パーパス経営)という概念がもてはやされています。

今、述べたことも「ブランディング」だと言うことはできます。

ところがまた違った観点を持つ人、クリエーターから見れば、先ほどの話とはかなり乖離した解釈になっていることもままあります。

一般的には、その企業の歴史を精査し、消費者にアピールできると思われる価値、これは先ほどの「創業時から守り続けてきたポリシーや、
製品にまつわるヒストリー」と被りますが。
これらをインプットとして、プロダクトや広告などをアウトプットと考え、それらの統合を行うことによってイメージの整合性を図り
「ブランディング」とすることが多いように思われます。

これをもっと分かりやすく言うと、前者と後者の大きな違いは「クリエイティブ」が「ブランディング」の最重要事項と受け止めているか
否かの違いであるよいに見えます。

実際にブランディングセミナーを受けている企業のほとんどは、前者による解釈を「ブランディング」の定義として受け入れている
ケースがほとんどです。
ですから結果的にロゴの変更をはじめとしたクリエイティブツールの開発までには至らないケースもかなり多いのです。

要するに理屈を身に付ければ、自ずと売れる仕組みも考えられるし、その先には「ブランディング成功」という目標が達成されると
いうことでしょうか。

しかし人間は理屈だけで生きているわけではありません。
趣味嗜好などという人によって大幅に数値が変わってしまう曖昧な「物差し=センス」というものを全員が持っています。

クリエーターは、その曖昧な「物差し」の数値を上げることこそが、「ブランディング」だと考えています。
だからこそ「ブランディング」には「クリエイティブ」(センス)が重要だと考えるのです。

果たしてどちらが正解なのでしょうか?
これからじっくりと考えていきましょう。


「入り口を変えるブランディング」2

【おさらい】

私はマーケティングを然るべき機関で学習したわけではありません。
あくまでも今までの仕事を通じて、自分なりに経験したことを関連図書と照らし合わせてきただけです。
ですから体系的にマーケティングを語る、などということはできませんし、それをしたいわけではありません。
もちろんブランディングについても同じです。
全て仮定として出発しています。
他のどんな筆者とも違う「ブランディング論」だと思います。

言い訳をしたところで、ここからは「おさらい」をしたいと思います。

おさらいの始めはランチェスターの法則、などで有名な人の話です。
この人、ランチェスターさんはイギリス人で、そもそも自動車の製造や開発を行い、後に航空機の設計などをしていた人、
らしいです。

私が読んだ本には、自分が設計した飛行機(戦闘機)が敵機と空戦をする際に、その飛行機の持つ性能をできるだけ活かした
戦い方を考えた、と記してありました。
いわゆる戦闘機と呼ばれる飛行機には、各々性能に違いがあります。
上昇性能に優れている、あるいは旋回性能に優れている、などなど。
であればその性能をできるだけ活かした戦い方(空戦)をしたほうがいい、
ということです。

そこから着想を得て戦争における戦い方を数理的に解析した「集中の法則」を元に「ランチェスターの法則」を第一次世界
大戦が勃発した1914年に発表。
ま、小難しいことは分かりませんが、いかに合理的な戦いをして敵に勝つか、という戦争時における戦略を考えたわけです。
詳細は省きますが、ちゃんと数理としての方程式が存在していますから、興味のある方は調べてみてもいいかと思います。
そしてこれがマーケティングという考え方の始まりだったということです。
またこのことをきっかけとしてマーケティング概念について、多くの人が研究するようになるわけです。

ところで、ここにもけっこう曖昧な部分があります。
それは同じ軍に属する戦闘員の資質・戦闘力を等しいものと定義していることです。
あるいは武器の性能(保有数)は数値化していますが、それを使う兵隊の能力は数値化されていません。
当たり前ですよね。
ひとりひとりの性格や特性(才能)などはデータ化できないからです。
要するに、偶然と呼ばれるものがどれほどの頻度で起きるのかは予測できないのです。
これは、割り切れないものと言ってもいいかもしれません。

と、ここまで読んでいただけた方は気がついているかもしれません。

そうです。
あたかも「ミッション」「ビジョン」「バリュー」そして「パーパス」で可視化でき、それによって構築できると思われている
「ブランディング」は、やはりマーケティング概念を進めたものになっているのです。
逆説的に表現すれば、数値として把握できないものについては可視化できないということです。

マーケティングの素人のお前に言われたくないわ!
そう思われている方々には先に謝っておきます。(

さて、ここで何が言いたいか、と言うと。

宇宙人がいたとします。
その宇宙人が地球を襲おうと考え、地球人のことをマーケティングしようと思いました。
さまざまなことやモノを数値化していきます。
あるとき、ピカソの絵を発見し、それを数値化してみました。
先ず白布、キャンバスです。
そして油絵の具、それから筆など画を描くために必要となる諸々の道具。
描き上がるまでに掛かった労働としての対価。
結果、それは(仮にですが)10万円(地球にある日本国通貨で換算した場合)と算出されました。
ところが地球人はそれらピカソと呼ばれる画家が描いた絵画作品を数十億円で取り引きしていました。

割り切れんやないか!
地球人、クレージー!

こんなところでしょうか。

「マーケティング」を考えるのであれば、それらの数値化は大きな力を持ちます。
しかし「ブランディング」を考えれば、やはり数値としては把握できない部分こそに成功の秘訣が隠されているように私は
思います。

追記するのであれば「勝つ」「負ける」という判断基準だけでものごとを突き詰めていくと「人道的観点」というものとの
せめぎ合いになりかねません。
それは戦争に勝ちたいのであれば核兵器を使えばいい、という理屈と同じです。

次は「ふたつの視点」について書きます。

「入り口を変えるブランディング」3

【ふたつの視点】

ところで、今、書いているこの記述はブランディングについて書いていますが、実は半分はエッセイとしても面白く読んで
もらいたいと思って書いています。
ですから、かなりの頻度で脱線します。
そして今から早速脱線します。

マーケティングという考え方が戦争で勝つために生まれたということは、紛れもない真実だと思います。
しかし「勝つ」ということとは一体どんな状況を指すのでしょうか?
戦争ということであれば、戦っていた敵国が降参すること。
主権だの資源だの労働力だの、言うなれば負けたチームは、勝ったチームに全てを奪われると言うことです。
けれどもビジネス(経済)という世界観で考えれば、戦争で勝つこととは大きな違いがあります。

なぜなら、全てを奪うことなどできないからです。
仮にマーケットシェアで、あるいは売り上げでいちばんになる。
それは果たして「勝った」ことになるのか?
シェアも売り上げも低くても、それが絶対的な敗北になるのか?
いえいえ、そんなことはないはずです。

また先ほど少し触れましたが「人道的観点」から見れば、正しい勝ち方?であったか、などの視点が必ず生まれてきます。
原爆を落としたから、戦争が終わった。
いや、終わらせることができた。
これがアメリカの一般的な論調だとすれば、あのように残酷な兵器を使うことによって、一般市民の命をいっぺんに20万人以上
奪ってしまうのかはどうなのか?
当然ですが、このような視点(論調)も、片方には必ず存在するわけです。
「勝てばいい」わけではない、ということですよね。

要するに、どんなことにも【ふたつの視点】が必ずあるということです。
これは今後も頻繁に登場します。
ブランディングの話をするときにも必ず現れてきます。
覚えておいてください。

【ふたつの視点】です。

源平合戦の頃、源義経が大活躍してヒーローということになっていました。
鎌倉幕府を開いた頼朝とは異母兄弟です。
義経は子どもの頃に父である義朝が平治の乱で没したので、鞍馬寺に預けられました。
それはつまり武士としての教育を受けることなく成人したということです。
そんな経緯もあって、義経は戦の掟を知ることなく戦いに臨んだので、簡単に言えば狡い勝ち方ばかりをしてきたのです。

主戦場は壇ノ浦など瀬戸内海でしたから水軍の力がものを言います。
ただここにもちゃんと掟(ルール)がありました。
それは舟の漕ぎ手を攻撃してはならない、という決まりです。
武士には守らなくていけない「人道的観点」があったのです。
それを無視して義経は漕ぎ手を弓矢で次々と殺め、戦いを有利に進めたのです。
なんて狡くて、酷い奴なんだ!
さまざまなところから非難の声が上がり、結果、頼朝は苦渋の決断を下して義経を討つことにしたわけです。

歌舞伎で有名な「勧進帳」は頼朝から逃げる義経と弁慶の逃避行を描いたものです。(美談になっていますが、いちばん
かっこいいのは関所の役人である富樫です)

はい、何度も言いますが「勝てばいい」わけではないのです。

ここで話を戻します。

マーケティングという概念は戦争がきっかけで誕生しましました。
それをビジネスという社会に当てはめて、売れる仕組みを考えていった。
その目標はあくまでも「勝者」となることでした。
それはそれで理解はできるが、どうにもすっきりしない。
理由は本当に「勝てばいい」のだろうか?という疑問です。
また「勝利」というものの定義さえままならない、と。
と考えてくると、ビジネスを戦争と見做すのは正しいのだろうか?
なんて思い始めてしまうのです。

しかも【ふたつの視点】があるという前提をもってすれば、ますます正解が見えなくなってきます。

再び脱線します。

同業種の企業でもその成り立ちや体系はみな独特だということです。
例えばSONYとPANASONICを比べれば、一目瞭然ですよね。
創業者のキャラクターが全く違います。
Appleのスティーブ・ジョブスはSONYの盛田昭夫さんを尊敬していましたから、同じようにガレージからAppleを
スタートさせたそうです。
その背景にあったのは、あくまでも技術とクリエイティブを両立させたプロダクトです。
翻ってPANASONIC(松下電器)の創業者、松下幸之助さんは町の電気屋さんを組織化するチェーンストア化を進めて
成功しました。
これは経営者として突出したアイデアを具現化したのが松下幸之助。
自らのセンスをベースにそれを反映させたプロダクトを創り出すことを理想としてそれを成功させた盛田昭夫さん、という
言い方ができるように思います。


「入り口を変えるブランディング」4

【マーケティングからブランディングへ】

ここまでのことから、私が勝手に推測するとすれば、企業であったりチームであったり、俗に組織と呼ばれる団体は
「発想重視型」と「体力重視型」のふた通りのパターンがあるように思えます。

それらを踏まえて考えれば「体力重視型」の組織には、マーケティングという概念がある程度は通用する部分はあるのでは
ないか、と考えます。
また「体力重視型」は、言い換えれば「データ重視型」と呼ぶこともできるかもしれません。
わかりやすく表現すれば、体力を数値に置き換えてデータ化します。
そうすれば力を具体的に知ることができるからです。
但し、繰り返しますが、想定外のことについては対応できないという落とし穴があります。

マーケティングという勝利の方程式を獲得して第二次世界大戦に勝ったアメリカは、しかしベトナム戦争では実質的な
敗北を喫しました。

当時の米国防長官マクナマラは、戦争における相当量のデータを駆使してベトナム戦争に臨みました。
けれども最終的には莫大な予算と兵力を注いだこの戦争に負けたのです。
なぜなら、想定外、計算外、要するにデータからは計り知れないことが重なったからです。

そしてこれは別の視点から眺めればフランスからの独立を目指した北ベトナム軍は「発想重視型」の戦い方を貫いて勝利した
ように見えるのです。
意表を突くゲリラ戦はまるでアメリカのデータを重んじた戦略をあざ笑うようでした。

これではっきりしましたね。

「体力重視型」をベースとした「データ分析」だけでは、勝てないのです。

やや乱暴な表現になるかもしれませんが、マーケティングという学問は、言うなれば市場における原理原則の基礎知識を学ぶ
ものかもしれません。
また、マーケティングというものがあったからこそ、ブランディングという考え方が生まれたわけです。

なぜならマーケティング概念からは、どうしても割り切れないことがいくつもの事例からあぶり出されてきて、それをどう解決
すればいいのだろうか?
といった悶々から解放されるために多くの人が「ブランディング」という呼び方で新たな「腑に落ちる理由」を探し始めたのです。

そもそも「ブランド」という言葉の意味は、みなさんご存知かとは思いますが、牛の焼き印です。
アメリカの西部開拓時代、カウボーイたちは自分たちの牧場の牛を連れていろいろなところを旅していました。
それは牛たちに牧草を食べさせるためでもありましたが、当然のように他の牧場のカウボーイ(と牛たち)と遭遇します。

その際に自分の牧場の牛だということが判別できるように、熱した鉄の印を牛たちに押しつけていたわけです。
牛にはいい迷惑ですが、これを「ブランド」と言っていました。
目印、という言い方がわかりやすいかもしれません。

目印、ということは「うちの牛だぞ〜」ということが誰にでもわかるということです。
あたかも有名ブランドによくあるマークみたい、いえ、マークそのものですね。
ここでひとつはっきりしたことがあります。

それは他とは違います、ということを、きちんと伝えることが、とても大切なことだということです。

何かを売りたいと考えたときに、他の会社のものと同じではありませんよ。
うちの会社の商品の方がいいものですよ。
そんなうちの会社の製品にはこんなマークが付いていますよ。
これこそ即ち、差別化へのスタートですよね。
(もちろん商品が本当にいいものでなくてはなりませんが)
でも、そのマークは消費者から見た時に「かっこいいと思われるマーク」でなくてはいけません。

さてここでまた新たな疑問が浮かんできます。
「かっこいい」って、誰が決めるものなの?という問題です。
実はこの問題はとってもやっかいです。
人気ブランドのプロダクト、マーク、CM、ポスター、その他諸々。
本当にそれらはデザイン的に見て優れたものなのでしょうか?

これらを仮に「外面指数」と呼ぶことにします。
この指数が高ければいいデザイン、つまり「かっこいい」ということになる、とします。
いや、まだ肝心なことが曖昧なままになっています。
誰が「かっこいい」を判断するのか?「外面指数」が高い、と決めるのか?

こんな話はしょっちゅうありますよね。
みんなはいいデザインだと言うけれど、自分はそう思わない。

さあ、世界中の誰が見ても、全ての人がが「かっこいい」と思うものはあるのでしょうか?
きっぱりと言いますが、そんなものは存在しません。
そうですよね。
人には趣味嗜好がありますから、誰も彼も全員が「素晴らしい」「きれい」「かわいい」「面白い」「おいしい」…なんて
いうものはこの世にはありません。

中には感じたことと、違うことを平気で言う人だっています。
へそ曲がり、なんて言われる人はその典型です。
だって、みんながみんな同じような意見だなんて面白くないじゃないか!と考える人もけっこういます。

なぜなら、私がそうだからです。(笑)

「入り口を変えるブランディング」5

【クリエイティブ・ブランディング】

よく「クリエイティブ・ブランディング」という言葉を聞きますが、この言葉を使っているのは、ほとんどがデザイナーとか
クリエイティブ・ディレクターです。
そこにはやはりクリエイティブワークこそが、ブランディング構築で最も重要な役割を果たすという決心と自信が見られます。
そしてこんな問題が起きてきます。

ところで一体、誰(どのザイナーやクリエイティブ・ディレクター)の意見やセンスを信じればいいのだろうか?

先ほど「外面指数」という表現をしましたが、これはデザインがどれほど優れているかを測る物差しは(おそらく)あると思われる、
ということです。

それがある意味、数値のように客観的にその優劣を判断するデータになるはず、ということで指数という言葉を使ったわけです。
でもきっとこれを読んでくれているみなさんは疑問に思われると思います。
それは割り切れないことを数字にすることはできない、と散々言っていた私がここで指数などという言葉を使っていることに。

そうです。

感覚を数字にすることはできません。
ただ、こんな言い方はできるかもしれません。
例えば自分がとても信頼している友人がいるとします。
また、その人が言うことにはどういうわけだか、とても納得できます。
「外面指数」を測るということは、この感覚に近いかもしれません。

つまり、その友人の考え方や行動が指数の物差しになるのです。

これはデザインやコピーを見るときにも同じことが言えます。
そのデザイナーのつくるものは、かっこいいと思える。
そのコピーライターがつくるコピーには、共感できる。
そういうクリエイティブ・ブレーンの意見やセンスこそが「外面指数」を高めてくれるのです。

マーケティングにおける数字が、あくまでも客観的な(物理的に割り切ることができる)数値だとしたら、クリエイティブ・
ブランディングにおける「外面指数」は(割り切ることができない)主観的な感覚なのです。
ですから1点とか100点という判別ではなく、最高にかっこいい、とか、
かなり素晴らしい、とか、あまりかっこよくない、とか、めちゃくちゃダサい、というような(評点ではなく)評価になるのです。

どうも訳の分からない話だなぁ、と思っていますよね?
ところが、これは真実です。
こころの中には最高から最低までを判断できる感覚が存在していて、その都度ちゃんと言葉に表さなくても判断を下し続けて
いるのです。

ここで気をつけなくてはいけないことがあります。
それはブランディングを考えている(仮に)企業のオーナーが、自分自身がクリエイターだと誤解してしまってはいけない、
ということです。

そのためには、とにかくデザインやコピーについて学ぶことが肝心です。
またそのためにはちゃんとした書籍や資料を参考にしなくてはいけません。
よくあるノウハウ本に紹介されているデザインやコピーははっきり言って参考になりません。
少々値段は張りますがADC年鑑とかコピー年鑑がいちばん望ましいと思います。
(他にも雑誌であれば「ブレーン」「宣伝会議」「デザインノート」などもいいかもしれません)

確実にレベルの高い作品に触れられる書籍・年鑑(資料)を見るのです。
これを繰り返している間に、感覚としてほぼ正しい評価を下せるようになるはずなのです。

ただ気をつけてほしいのは、それらに掲載されている作品を制作した著名デザイナーやコピーライターにブランディングを
依頼しましょう、ということを言っているわけではない、ということです。
(もちろんそれはそれで間違ってはいませんが)
なぜなら先ず大切なことは、見識眼を持つことだからです。
いいデザイン、いいコピーが分かることが重要なのです。

無名でも素晴らしいデザイナー、コピーライターはいくらでもいます。
賞を取ることに意味を見いださない人たちです。
ある種の権威のようなものと自分は距離を置きたいと考える人たちです。
でも、とてもいい仕事をしてくれる人たちです。
そんな人をきちんと見極めることができるように、多くの優れた広告作品を見て学習するのです。

よくあるのは、有名なクリエーターに依頼すれば安心だから、その人に「任せる」というパターンです。
任せる、というニュアンスは微妙ですが、広告やクリエイティブのことを学び、自分なりの見識を身に付けたら、
クリエーターと一緒に「どうすればブランディングを成功に導くことができるのか?」ということは、しっかりと協議するべきです。

その企業のことをよく知っている然るべき立場の方が、クリエーターと共に望ましい企業像を発見し、消費者から支持されることを
目指して「外見指数」を高めていく。

こうすることによって「クリエイティブ・ブランディング」は、輝かしい結果を生むことになるのです。

さて、では「内面指数」について考えましょう。(つづく)

「入り口を変えるブランディング」6

【外面指数と内面指数】

ここで言う「内面指数」とはその会社が残してきた歴史(ヒストリー)と実績(ストーリー)、そして今までに獲得してきた
評判(インプレッション)です。
それらはその企業の「財産」と言うことができるかと思います。

とは言え、創業から長い年月の歴史があるから、その企業は「内面指数」が高いのかと言えば、そういうものではないようです。
つまり一般の人々がその企業に抱くイメージが「内面指数」として認知され、その認知が、尊敬、あるいは羨望に値するものなのか
どうかが重要なのです。

「外面指数」は優秀なクリエーターや技術者の力を借りて、優れたプロダクトや洗練された広告、適切なPRによって、それなりの
ポイントを獲得することができます。
そしてまた「発想重視型」の企業でも「体力重視型」の企業でも、それらの「内面指数」を獲得することは可能です。

例えば「発想重視型」の企業であれば、プロダクトの革新性やデザイン性によって。
また「体力重視型」の企業であれば、その企業戦略やプロジェクトを一気に進める実行力などで獲得できると思います。
その結果として「内面指数」と「外面指数」が合体することにより「ブランド」として認知されることになるのです。

でもここでまた悩ましい疑問が生まれます。
果たして、どのような業界でも「ブランド」と呼ばれる付加価値は通用するのか、ということです。

著名なクリエーターの著書の中に、タイムマシンで江戸時代に行ってロレックスとGショックとどっちが欲しい?と聞いたらどっちを
選ぶと思いますか?という話がありました。
答えはもちろん、Gショックではないですか、ということなのですが…。
これは踏み絵のようなものですね。(笑)

私自身は、どっちも要らない、と答えるのではないかな?と思いました。
なぜなら時間というものに対する向き合い方が今と江戸時代では異なるからです。
つまり多くの人たちが「時計」(腕時計)というプロダクトを所有しているのなら別ですが、ほとんどの人が持っていない時代に、
時計なんて不要ではないか、と思うからです。
朝、陽が昇ったら仕事を始め、陽が沈んだら家に帰る、雨が降ったら仕事はしない(業種によりますが)みたいなライフスタイルの
時代に、時間を知るためのツールは必要が無いわけです。

そしてまたこんなことを考えました。
時代は今、現代です。
ロレックスと全く同じデザイン、中のメカニズムも材質も同じ、もちろん価格も全く同じ腕時計があります。
違うのは盤面に記されたロゴのみです。
片方にはROREX、もう片方にはMORIKENと刻まれています。
さて、どちらを選びますか?

考える必要も無いほど簡単に答えは出ますよね。
そうです!ROREXです。(講演でこの話をすると、必ずMORIKEN!と言ってくれる人がいますが。(笑)

これでよく分かりますよね。
多くの人々は(この話であれば)欲しいのは時間を知ることができるツールではなく、できれば誰もが知っていて、その会社の時計は
高額だということも周知されている価値観、つまり水戸黄門の印籠なのです。(笑)

どうしてなのでしょうか?
ひとつは、その「ブランド」を所持していることが、自慢できる(あるいは自尊心を満足させられる)と自覚できることです。
社会的な位置や収入面における優位性、然るべきヒエラルキーに属していることを、それら「ブランド」を持つことによって知らしめる
ことがオートマチックにできるからです。

これはとても便利な機能ですよね。

私はお金持ちだ!なんて言わなくても勝手にそう思ってくれたりするわけですから。(笑)
とここまで書いて思うのは、あれ?クリエイティブを重視した物差し=センスは、どこへ行ったの?ということです。
実はここに大いなるパラドックスが存在するのです。
さてそのパラドックスとは何なのか?

はっきり言います。
そのパラドックスとは「思い込み」という言葉に限りなく近い心理のことです。
宗教に近いかもしれませんね。
「クリエイティブ・ブランディング」が重要です、などと言っていながら、それはおかしくありませんか?と思われても仕方が
ありませんが。

ある「ブランド」が市場に送り出している「プロダクト」は、そんなにセンスがいいものなのか?
あのマークは本当にかっこいいのか?
いや、むしろあんなに高額なのはおかしいのではないか?
考え始めればおかしな矛盾が続々と見つけられます。

ある自動車メーカーはマークを変えて、莫大な予算をかけてアウトプット(外面指数)の表現から日本色を排除して、あたかも
外国の自動車メーカーのような見せ方をすることによって、見事にブランディングを構築してしまいました。

そこに「内面指数」は存在していたのでしょうか?
あからさまに言えば、限りなくゼロです。
実はそのメーカーは既存の巨大な自動車メーカーが新たにつくった高級車ラインなのですが、それまでの「内面指数」「外面指数」では、
高級車ブランドとしては認知されなかったのです。

それでもそのメーカーは「ブランド」になり得たわけです。
ではどうやったのか?
それこそが「思い込み」という信仰心に近い感覚です。
宗教のメカニズムに詳しいわけではないので、ここからは私の推測ですが、繰り返し同じことを訴え続け、それを反芻させると、やがて
なにがしかの事を信じ込むようになります。

また今の時代では潤沢な予算さえあれば、多くの人々に「思い込み」をさせることは不可能ではありません。
周到な準備をして、ありとあらゆるメディアでその「呪文」を反復・拡散すれば、その企みは叶うのです。


「入り口を変えるブランディング」7

【入り口を変えるために】

人々から認められ高い好感度を獲得している企業は、それなりの歴史があり、逸話を持ち、その業界におけるステイタスを保持している
企業と定義できるでしょう。
そしてそこへ至るまでに「内面指数」と「外面指数」のストックがあり、それらの融合が他社との差別化につながっていった、と思われます。
だからこそ、その企業の商品やサービスを購入(支持)することになるわけです。

そこに見られるのは他社との比較を最小限にとどめ、いったん決定したら、堅固なロイヤリティによってそのブランドの製品を求める姿です。
こうなってくると求められるものが機能性や経済性、あるいは必要性ではなくなってきていることがよく分かります。

ものに溢れ、生活に必要なものはほぼ揃っているこんな時代に、新たな需要を喚起しようと思ったら…。
そうだ!ブランディングしよう!
となるわけです。
新たな欲望を喚起するための戦略はそれしかないのかもしれません。

欲望を満たすために必要となるのは、そのブランドへの揺るぎない確信、信頼、羨望などです。
これらによって、そのブランド名(企業名)が記されている入り口(扉)へ人々は向かうのです。

但し、そこには「勝ち・負け」といった概念はありません。
企業風土と呼ばれるものに根ざした「内面指数」と「外面指数」が大きく影響した、その業界(市場)における「生存領域」
(ドメイン)を確保したという事実があるだけです。

しかし生存領域こそが、実は「入り口の入り口」であり、とても重要な役割を果たすのです。

その業界(市場)で自社が生き残っていける場所(入り口の入り口)を発見し、その中に「入り口」(扉)を設けることが大切です。
そしてその扉に迷うことなくたどり着けるような「道標」をいろいろなところに設置しなくてはいけません。

その「道標」とはクリエイティブツールと呼ばれるものであり、「道標」を設置するためには「クリエイティブ・ブランディング」を
疎かにしてはいけないということになるのです。

理由はこちらが発信した感性(道標)に共感を持ってくれる人たちこそが、センスに対する価値観をもっとも望ましい形でキャッチ
してくれる人々だからです。

そうなれば多くのファンを獲得でき、迷うことなく入り口にある扉を開いてくれることでしょう。

さて、長々と書いてきました。
これはおかしいだろう?と思われる箇所もいくつもあるかと思います。
どうぞ、アホな人間の戯れ言だとスルーしてくださいませ。

そしてまた、できれば私自身を「クリエイティブ・ブランディング」構築のスタッフとして起用いただければうれしく思います。


                2025年 2月  moriken office 森 健