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商品の定義が変わる?

本文と写真は関係ありません

ネットメディアを利用することが当たり前になっているが、それはどういうことかと言えば、
手で実際に触れることができない物をあたかも実際にある物のように思い込むことになる、
ということだと思う。
そこに見えている物は質量を伴わない透過物なのだ。
PCやスマホで見ているあらゆる物はホンモノであって本物ではない。
あるいは本物を加工してあえて本物ではなくしていることもあり得るし、あえて存在しない物を
ホンモノとして見せているかもしれない。

もちろんこういったギミックはずいぶん昔からあった、
写真を撮る際に使用するレンズの画角によって、かなり広い空間に見えたりすること。
あるいは入念な特殊メイクによって人物の顔を変えてしまうこと。
ほかにもCGやら合成という技術によって、あたかも実在するような風景や人物を創り出して
しまうこと。
これらもホンモノもどきと言えば、そうかもしれない。

ただそれらはあくまでもテクニカルな表現であることを、見る人たちが前提として理解して
いたはずだ。
所謂「高度な技術を駆使した産物」として受け止めていたわけだ。
もっと言うなら、今までに制作された映画とかドラマもホンモノもどきの類いと言えるかも
しれない。(ま、言い出せばきりがないが)
だが、それはあくまでも刷り込み済みの前提条件であって、いい意味で嘘だと分かっていて
見ることを楽しんでいた。

ところが!である。
AIの登場によって、今やその真贋が判断できなくなってしまっている。
質量を伴ったそれなりに立体としての形や重量を明らかに持っている物なのか、存在しない物
なのかが限りなく不明なのだ。

かつての商品の概念から考えれば、それらには明確な形や機能があり、人々の要求、あるいは
欲求の対象として果たす役割を求められていた。
簡単に言えば、洗濯機とか掃除機、テレビ、などだと思えば分かりやすいかと。
他に商品という概念に入るかどうかは微妙だが「サービス」と呼ばれるものもあるだろう。
映画・コンサートなどの興業、ボーリング場・テーマパークなどの施設、マッサージ・ヨガ
などの業態、などなど。
それらも広義でくくれば商品と言えるかもしれないが、とりあえずここでは商品からは外しておく。

ここまで述べたことを纏めると、これまでは現実というものに軸足を置いて、私たちは生きてきた。
また誇張された表現が為されていても、現実の一部の演出としてきちんと区別できていた。
けれどもAIと呼ばれる技術が生まれ、現実と非現実の境界が曖昧になってきてしまい、その曖昧さが
新たな商品?を生み出し始めていることを理解しなくてはいけなくなっている、ということだ

とここまで読んでも向に意味が分からないだろう。
つまり今までは、基本的に質量・形・機能を持っている物が商品だったのだが、これから対価を
支払って自分の物にする物(商品)にはそれらとは全く異なるメリットを与えてくれる物が商品に
なっていくということだ。

振り返れば、スマホがその発端になったと考えるのが最も妥当だと思う。
ソフト(アプリ)を購入することによって、さまざまなことが楽しめ、いろいろなことを知る
ことができるようになる。
その物自体は質量を持った物として手で触ることはできない。
アイコンはあるが形は持っていない。

要するに商品の概念がこれでがらりと変わってしまったことになる。
さらに言及するのであれば、決められた働きのみをするのではなく、顧客の希望をそこに加える
ことができる。
例えば(もう既にあるとは思うが)人間の感情に寄り添う新たな商品として、既に存在していない
(亡くなった・無くなった)現実(状況)を、本人の希望によって疑似現実として創り出すソフト。
これが商品になるわけだ。
伴侶を亡くした人が故人の動画データや音声データを保持していたら、そのデータと、故人との
思い出、癖、性格、趣味嗜好、生活パターン、などの資料をインプットする。
これらのデータを受けたAIが本人(購入者)の希望する形(スマホソフト、あるいはロボットの
ように質量を持った形を持つ物を媒介として)で、現実社会の中で非現実な状況を創出してくれる。
(ロボットであれば、存在は現実だがそこから引き出せる言葉やアクションは非現実となる)

夫を亡くした女性であれば、朝、定時になると亡き夫の声が「おはよう!起きる時間だよ!」と
スマホ(あるいはロボット)の中から呼びかけてくれる。
常にスマホを携行していれば「今日は天気がいいから午前中に公園まで散歩に行こう!」と運動を
促してくれる。
健康状態も常にチェックしてくれるので「そろそろ休憩しようか!」とも言ってくれる。

さらにロボット工学とジョイントさせれば介護や日常の作業も行うことができるようになるだろう。
もちろん車の運転も単独での買い物などもストレスなくやってのける。
もっともっと欲張れば、故人と瓜二つの顔を持たせることも可能だろう。(年齢も自由に選ぶ
ことができるはず)
当たり前だが、これから起こる出来事も(あくまでも故人のデータから提供されたことに起因する行動)
あたかも生前の夫とつくったように勘違いできる思い出として残されていく。

ところで、ここで考えたいことは人間にとって「本当の幸福」とは何なのだろう?ということだ。
もし今述べたようなことがビジネスとして成立した場合、それは幸福につながるものなのだろうか?
また、こんなことが現実になったら人々の考える死生観が劇的に変わってしまうかもしれないの
ではないか?
クローン人間を創り出すことへの倫理観と似ているかもしれないが、みなさんはどう考えるだろうか?

ひょっとしたら、自分にとって都合のいい伴侶をつくり上げてしまえば、生身の人間の伴侶は不必要
だと思うようになるかもしれない。
生殖行為はなくても人工授精で出産することもできるのだから、結婚という制度も有名無実になって
しまうかもだ。
ここまでは女性の視点から述べているが、男性にとってもこれは望ましい暮らしを実現させてくれる
素晴らしい商品(ソフト)になるような気もする。

いつかやがて「生活」という言葉の意味や定義も変わっていくのだろう。
それは突き詰めると「人間の命」とは何か?
命を授かった者として果たさなくてはならない「役割」とは何か?ということになる。
果たして、その答えを出してくれるのは人間なのだろうか?
限りなく不安になるのは私だけだろうか?