【代理店時代−8】
いろいろとあったアサヒドーカメラ
ですが、お店はもうありません。
と言うか、クラシックカメラ専門店
のような形で名前は残っていますが、
すでにカメラ店としての営業はして
いません。
あれこれ対立して仕事を降りること
になったクライアントの後藤専務は
岡﨑で亡くなりました。
その時の話を聞くと、いかにも
恵ちゃん(後藤恵一さん)らしい
最後だった、とのことです。
妹さんは結婚されて、アメリカで
暮らされています。
しばらく会っていませんが、すみ
ちゃん(妹さん)と会った時には、
「あの頃は楽しかったね〜」と、
当時を思い出して、懐かしみました。
ところで、今でも私のことを人に紹介
してくれる際には、多くの人が「ア
サヒドーカメラの…」と添えてくれる
方がけっこういます。
そう思うと、やはりあの仕事は、
私にとって特別な仕事だったという
ことなんだと思います。
さて、CMとは不思議なもので、
評判も良くて商品も売れる場合。
評判は良くないが商品は売れる場合。
評判は良かったが商品は売れない
場合。
評判も良くなくて商品も売れない
場合。
という4パターンがあります。
実は、私が企画した一連のシリーズの
評判は良くありませんでした。
それでも商品は驚くほど売れました。
「価格が安かったからなのか?」
それにしても、交通費を出して来て
いたら、それほどのお得感は感じられ
ない気がしますし…。
謎です。(笑)
ただ、こんな話を聞きました。
『無愛想な店員さんは誰ですか?』
『無愛想な店員が見たくて来ました』
他にもよく似た理由で来店された
方々がたくさん居たとのことです。
話を聞いた後に思いました。
人間って、面白いなぁ、と。
好きじゃないけど、気になる…。
って、ことかもしれません。
この「気になる」がヒントだと
思います。
好きでも、気にならないCMはだめ。
嫌いでも、気になるCMはOK。
私は、勝手にそう思っています。
(あくまでも個人的な意見なので
悪しからず)
それから、前にも書きましたが、
私が作ったCMがあの驚異的な売り
上げにつながった、という訳では
ないと思っています。
私が編集室で恵ちゃんと言い合いに
なって仕事を降りた後、多くのクリ
エーターがあのクライアントのため
頑張ってくれたからです。
振り返って、独りよがりの気持ちを
ここに書くことを許されるのなら。
東京も大阪も意識しない、この地区
だけのCM作法?のようなものを、
一瞬だけ提示することはできたのでは
ないかな?
ということです。
ある時期から、あの仕事を東京の
演出に依頼し、東京のスタッフで
制作した時期がありました。
それは私がフリーになった後に、
新東通信に入った優秀なプロデュー
サーのTさんが制作したシリーズ
です。
制作費も私が担当していた時とは
比べものにならないほどの金額
でした。
(女性団体から強硬なクレームが
来たらしいそのシリーズは)それ
こそ好き嫌いはさておきですが…、
やはり、名古屋の、この地区の、
スタッフで作って欲しかったな、と。
まるでブランド好きな名古屋人が
マークのついたバッグをありがた
がるような東京信仰は、あのクライ
アントでなくても良かったのでは?
な〜んて思っていました。
あ、そう言えば、その方は岐阜出身
でした!(笑)
今になって、やっと納得できました。