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【コピーライター デビュー作】

私のコピーライターとしてのデビュー作は国鉄(現JR東海)のポスターでした。

広告代理店に転職する前、1年間ほどデザイン事務所に勤めました。
そのデザイン事務所は山崎デザイン事務所。博報堂の仕事をメインにしている
プロダクションでした。

山崎社長は長距離トラックの運転手をしながら夜間のデザイン学校に通い、
当時専門学校と同じビルの中にあった博報堂の仕事を手伝うようになり、
やがて自分のデザイン事務所をつくることなった、という変わった経歴の人。
トラックを運転しながら各地を回り、時間があるとスケッチブックを開いて
風景などを描いていたという変なトラック運転手だったようです。

私が入社するきっかけになったのも、その頃(25歳くらい)フリーターを
していた私が、トラック(4トン車)の運転手をしていたことを知った山崎社長が
「トラックの運転手つながり」で気に入ったからでした。

友人を通して山崎社長を紹介してもらったら、いきなり「気に入ったから
うちのデザイン事務所に入れ!」と言われ、訳も分からないうちに山崎
デザイン事務所に入ることになりました。

何をしたらいいのですか?と、聞いたら、社長は「入社してから決める」と。
そんなことでこの業界に入ることになったのです。

もちろんコピーを書いたことも、勉強したこともありませんでした。ただ、
コピーライターという仕事は知っていましたし、なりたい気持ちはありました。

そんな気持ちを知っていたのかどうか分かりませんが、入社して1ヶ月ほどしたら、
「おい!森、コピーを書いてみろよ!」と社長に言われ、コンペで決まる国鉄の
ポスターのコピーを書くことになりました。

コンペですから数社の提案するポスター案の中から選ばれるわけです。当然、
けっこうなプレッシャーでした。

何百案もコピーを書いてはダメ出しをされ、毎日のように徹夜をしました。
やっと決まったコピー案は、

「冬はスキーーーーーーッ。」

という、未だにどこが良かったのか分からないコピーでした。このコピーを
博報堂のコピーライターに見せたら「森君、いいよ〜!これなんだよ〜!」
なんて言われて、そういうもんなのかなぁ…なんて狐につままれたような
気持ちでした。

結果、それが選ばれて、晴れて私のデビュー作になったわけです。そして
それがこの写真のポスターです。

このコピーのポスター案が選ばれなかったら、ひょっとしたら今の私は
違う仕事をしていたかもしれません。