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【プロダクションから代理店へ】

山崎デザイン事務所に入ってから10ヶ月ほどした頃、新東通信のディレクターと
会うことになりました。制作部(今のクリエイティブ局)にいたSさんという方です。

見た目は短髪(ほぼパンチ)で、確かサングラスをかけていたと思います。
結び目の大きなネクタイにチョークストライプのスーツ。
正直に言って、893にしか見えません。(笑)

その頃の私にはよく行っていたロック喫茶がありました。その店に新東通信でバイトを
していた大学生が時々来ていたのです。その大学生がSさんと会ってみませんか?と
言ってくれたのです。

ということでSさんと会うことになったのですが、会ってほんの5分も経たないうちに
「うちの会社に来ないか?」と言われたんです。

さすがに山崎デザインに入って1年も経たないのに転職するのには気が引けました。
やはり断ることにして、Sさんにその旨を伝えました。

ところが…。それから毎日、何回も何回も電話があったんです。Sさんから事務所に。
本当に積極的にアプローチしてくれたんです。
結局、熱意に負けて山崎デザイン事務所を辞めて新東通信に行くことに決めました。

山崎社長は激怒しました。まぁ、当たり前ですよね。喫茶店に連れて行かれて5時間
ほど翻意するように説得されました。でももう行くと言ってしまったので、何とか
許してもらいました。(仕事を発注しますから、と言ったら許してくれました 笑)

転職を決めたのは6月下旬でした。あと数日でボーナス支給日でしたが、あえて
その前に退職することを伝え、6月いっぱいで辞めました。ボーナスをもらって
から辞めるのは、ずるいように思えて嫌だったからです。

こうして新東通信に入りました。初出勤の日にSさんから「ボーナスはもらってきた?」
と聞かれました。もちろん「もらってきませんでした」と答えました。

それから数日後、新東通信のボーナス支給日がやってきました。(当時の新東通信は
ボーナスのみ現金で社員に手渡ししていました)私はもらえるはずもないので、
会議室でのボーナス支給をぼ〜っと見ていました。

すると、どういうわけだか私の名前が呼ばれたのです。

あれ?間違いじゃないのかなぁ?と内心思いながら谷社長の前まで行くと、確かに
私の名前が書いてある封筒が用意されていました。

驚いたことに、入って1週間も経っていない私に1ヶ月分の給料と同額のボーナスを
支給してくれたのです。(当時の金額で17万です)

森君はあえてボーナスをもらわないで新東通信に入った、ということをSさんが
会社の人に報告してくれていたのです。それを聞いて谷社長が支給を決めてくれた
のです。

予想もしていなかったので、本当にうれしかったことを今でも覚えています。

私にとって新東通信は、素晴らしい経験と充実した時間を与えてくれた最高の
会社でした。


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