【代理店時代−1】
代理店に入社して張り切っていましたが、
依頼される仕事はなぜか住宅関連ばかり
でした。確かに当時、新東通信は住宅
関係のクライアントが多かったのは事実
ですが、それにしても住宅の仕事しか
来ない…。
来る日も来る日もマンションや戸建て
住宅のチラシのコピーを書いていました。
毎日、毎日、デベロッパーや住宅の販売
会社がSPのために折り込むチラシや、
物件のパンフレットのコピーワークが
続きました。
そこで思い切って私を誘ってくれたSディ
レクターにそのことを尋ねてみました。
なぜ、私は住宅の仕事ばかりなんですか?
教えて欲しい、と。
すると「森君は工業高校の建築科出身で、
図面が読めるから」と言われました。
そこで今までどうも釈然としないなぁ、
と思っていた小さな謎がやっと解けました。
要するに、私には住宅関係の仕事を専門に
担当させよう、ということだったんです。
なるほど、熱心に誘ってくれたのそういう
理由だったのです。
実は、経験の浅い私をなぜそれほどまでに、
熱心に…とやはり少し解せないなぁ、と
思っていたのです…。
それでも、いやいや私のことを将来性
豊かな人材だと踏んで誘ったに違いない!
と思い込むことにはしていたので、その
真実を聞いたときはいささかショックを
受けました。(笑)
それまでは銀行、鉄道会社、電力会社、
自動車メーカー、など、それなりにバラエ
ティに富んだ業種の仕事をしていたので、
本音を言えば、さすがに同じ業種ばかり。
しかも表現の巧みさよりも実質的な内容を
訴えることがほとんどの仕事は、正直に
言えば、あまりやりがいを感じるものでは
ありませんでした。
ま、それならそれでかまわない。であれば、
自ら営業の人に自分を売り込んで、つまり
社内セールス(笑)をして、他の業種の
仕事をさせてもらおうと企みました。
特にCMもグラフィックも展開していた
競艇場の仕事を担当させてもらおうと思い、
営業の人たちに頼み込みました。もちろん
住宅の仕事もちゃんとこなしてです。
その時点で仕事量は他のコピーライターの
ほぼ倍になりました。さらに会社と取り引き
のあった全競艇場の仕事を担当させて欲しい、
と頼んだので仕事はさらに増えていきました。
終電で帰り、家にも仕事を持ち込んでやって
いました。土曜日も、日曜日も仕事をして
いました。気づけば住宅の仕事は減り、
バブル経済の影響も受け、さまざまな
業種の仕事をするようになっていました。
けれども業界から注目されるような仕事は
していませんでした。30歳くらいまでは、
全くぱっとしない所謂、鳴かず飛ばずという
状況が続きました。