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【フリーランス−1】

CCN賞作品募集ポスター


フリーになった年は1990年。

あのバブルの最後の年です。

翌年バブルははじけますが、辛うじて
1年のみ、その恩恵を授かりました。

新東通信を退社したのは2月いっぱい。

1カ月間休んで、4月からフリーでの
仕事を始めるつもりでいました。

独立の案内(DM)をつくることに
して、それに有名コピーライター
からのコメントを載せたいと思い、
手紙を送りました。

ふたりのコピーライターにお願いしま
した。

ひとりは手紙を送って1週間も経た
ないうちに直筆のコメントを返送して
きてくれました。

その方は。

仲畑貴志さん。

もうひとりの方は印刷入稿する直前に
(つまりギリギリ)コメントを送って
きてくれました。

その方は。

魚住勉さん。

当時CCN(コピーライターズクラブ
ナゴヤ)に所属していたのですが、
その前年にこのおふたりはCCN会員
といっしょに岐阜へ一泊旅行に行って
くれていたのです。

確か、講演会で話をしてくれた後に、
電車で岐阜へ向かい鵜飼いを見ました。

仲畑さんは気前よく1万円札を出して、
花火をたくさん買ってくれました。

旅館で浴衣を着て、みんなで写真を
撮りました。

かなり遅い時間まで飲んでいたと思い
ます。

そして楽しかった。

翌日には岐阜の金華山にも行きました。

魚住さんは奥さんの写真を見せてくれ
たり、ふたりでテニスをしたときの
ことなど話してくれました。

仲畑さんはゴルフのことを話していた
ように思います。

そんなことがあったので、おふたりに
コメントをお願いしたわけです。

さてフリーになったバブル最後の年は、
わずか9カ月ほどしかフリーとしての
仕事はしていませんでしたが…。

某大手代理店の年収の目安として
よく言われていた金額のおよそ3倍
ほどの年収がありました。(笑)

翌年、見事にバブルは終焉を迎える
のですが、たった1年だけですが、
いい思いをさせてもらいました。

しばらくしてからCCNの会長を
することになりました。

今のようにちゃんとした組織では
なく、有名コピーライターを招いて
勉強会のような講演会や会員同士の
親睦飲み会を開催したりしていま
した。

CCN賞もありました。

その頃は中部地方在住のコピーライ
ターが応募するといった賞でした。

ある時期からTCC賞に求人広告が
入賞するようになり、この地域からも
新人賞を受賞するコピーライターが
増えてきましたが、その頃には2名
しかいませんでした。

そんなときに私とふたりでCCNの
会長をしていた友人の大橋くんが、
おそらく初めて、この地域の仕事で
念願のTCC賞を受賞しました。

それまでの2名は、いずれも東京の
会社で制作した仕事で受賞していた
ので、これはまさしく快挙と呼べる
出来事でした。

特に仲のいい友人であっただけに、
うれしさもひとしおでした。