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【フリーランス〜最終回】

Yと一緒に行ったグアム島


フリーになってから30年。

振り返ってみれば、あっという間
であったように思います。

前回では遠くまでロケに行ったことを
書きましたが、もちろん仕事が無くて
追い詰められたときもありました。

それはまさしくリーマンショックの
時です。

ギャラは今までの3分の1。

あるいはゼロ。(笑)

それまでは10万ほどのギャラだった
仕事は、3万に。

自主プレや3万ほどのギャラだった
仕事はノーギャラになりました。

所謂、デフレが私たちの業界にも
起こったわけです。

車もバイクも手放しました。

建てた家も賃貸にすることにして、
再出発を図ることにしました。

世の中、いいことばかりは続きま
せん。

とは言え、小心者の割にはなぜだか
楽天的なところもある私は、まぁ、
何とかなるだろう…。

なんて思ってもいました。

それなりに落ち着くのには数年ほど
かかりましたが、こうして今も相変
わらず馬鹿なまま過ごしています。

そして、今回のコロナウイルス…。

さて収束するのはいつごろになるので
しょうか?

何とか生き延びねば、と思っています。

ところで。

こうしてこの業界に入ってからの諸々
を改めて振り返ってみましたが、いつも
思うのは、必ず誰か助けてくれた人が
いたことです。

もちろん、そんな人ばかりではありま
せん。

口先ばかりでいい人ぶっていたある人。

代理店時代に同じ局にいたその人物は、
いかにも熱く夢を語り、爽やかなルック
スで信頼に足る人物に見えましたが…。

私や誰か身の回りに困っている人が
いても知らんぷり。(笑)

私が窮状を伝えても笑っているだけ。

行きたいわけでもない同僚たちを
キャバクラに誘い、自分のお気に
入りのキャバ嬢を指名して、指名
料など料金は全部割り勘。

それに付き合わされた同僚たちは
あきれ顔でそんな話をしてくれま
した。

自分さえ良ければいい、という人物
でした。

でも、それとは逆にいつも助けてくれ
たのは、私が口をきいて同じ代理店に入
れたY君でした。

彼が大学の頃から知っていましたが、
今の仕事が合わない、と聞いたので
自分が務めていた新東通信に入るよう
に勧め、面接をセッティングしたの
です。

それで彼は入社することになったの
です。

私に本当に懐いていて(笑)よく一緒
に行動していました。

けれども。

そいつは私より3歳ほど年下であった
のに、逝ってしまいました…。

もう10年は経ったでしょうか…。

正月休みに家にいて、ちょっと苦しい、
と言って布団に入って休んでいたら、
そのまま帰らぬ人になってしまいま
した。

あの時。

私は三日間泣き続けました。

亡骸を見て。

通夜で。

本葬で。

本来なら私が弔辞を読むはずでしたが、
周りの人が、あいつは泣くだけでとても
弔辞なんて読めないだろう、という理由
でその役が回ってこなかったくらいです。

悲しい、という言葉では足りないほどの
痛みでした。

いつも馬鹿なことばかり一緒にやって
いました。

そうそう、フリーになった記念にふたり
でグアムに行って、島中をレンタカーで
ぐるぐる回ったりしたこともありました。

そして。

奴は、いつだって仕事が無くて私が困って
いたら、必ず仕事を作ってくれました。

きれい事ばかり言っていた誰かとは違い。

伸哉、ありがとう。

世話になったな。


いろいろと書いてきましたが、これで
私の略歴(あまり略されていませんが)
を終わろうかと思います。

これからは短編を書き始める予定です。

良ければ、またのぞきに来てください。