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【エッセイ1】関さんのこと

本文と写真は関係ありません。


関さんは、元活動家だってみんなが言っていた。それでも私が知っている

関さんは、いつものように仕事が終わると酒屋に直行してウイスキーと

ビールを買い、まるでカフェ・オレのように半々で入れる飲み物を笑顔で

飲んでいる人の好い、ただのおじさんだった。



関さんは、歯医者に行くのが嫌いなのと面倒なのが重なって、ずいぶんと

歯がなくなっていた。緑色の作業服を着てディーゼルのワンボックスを

運転して、全ての荷物の集荷が終わるとそれ、関さんは「爆弾」って呼ん

でいた、その酒を事務所で飲みながら、歯のない口で笑っていた。



訛りがきつくて、時々何を言っているのか分からなかったけど、関さんは

私のお気に入りの人だった。バイトで始めた荷物の配達や集荷をする

運転手の仕事。そのバイト先に関さんはいた。



当時、私は何になりたいのかも分からず、母親が倒れたのでてっとり早く

免許さえあればできるそのバイトを探してきた。朝の5時頃起きて、6時半

頃に作業場に行き、各方面から届いた荷物を仕分けして、仕事が始まる前

のオフィスにそれらを届ける。昼は「宅急便」という奴を各家庭に届ける。

夕方からは各オフィスからの荷物を集めて来て、宛先別に仕分けして帰る。

それがほぼ8時半頃。メシを食って風呂に入ったら、そのまま疲れて寝て

しまう。そんな毎日を2年くらい過ごした。



お昼頃に、オフィス街にある公園の横の道を通ると、よく関さんの車が

停まっていた。助手席側の窓に足の先を出して、そこで関さんは寝ていた。

事務所に帰って「関さんの車、見ましたよ」と言うと「おお、そうか」と

ちょっと照れくさそうに答えた。



事務所は相当に古い木造の建物だったが、関さんはそこの2階に住んで

いた。年齢は50歳くらいだったのだろうか?いや、本当はもっと若かった

のかも知れない。過去のことは一切話さなかったし、家族の話も聞いたこと

がなかった。



運転手の仲間は、関さんは実はすごく喧嘩が強くていくつもの武勇伝が

あるとか、最初に書いたように、以前は政治的な思想を持って活動して

いたんだ、と私に話してくれたが、半信半疑だった。だって、関さんは

いつもニコニコしていて、怒るようなこともなかったし、感情を爆発させ

るようなタイプには見えなかったから。



いちどだけ意を決して関さんに聞いたことがある。そしたら関さんは「そん

なわけないだろうがー」って、笑いながら「爆弾」を飲み干した。関さんに

言わせると、いちばん早く酔っぱらうにはこれが最高だそうで、それも

立て続けに何杯も飲んだ。



1980年、私は今で言うフリーター。進む道さえ見つけられず、何の目標も

ない毎日を送っていた。