【エッセイ3】おじさんのこと
おじさんは、肩を組むのが好きだ。特に、若い人と組むのが好きだ。
できれば妙齢の女性が本当は内心うれしいのだが、相当なリスクが…、
即ち「セクハラ」と糾弾されてしまうので逡巡した挙げ句、近くに
いる若い男性の肩で妥協して組んだりしている。
おじさんが望んで組むその若い肩は、細く、頼りなく、乾燥しているが、
これからの希望のようなものがちょこんと載っていることが多い。
おじさんは、それが希望のようなものだということに気が付いている。
だから、ふとしたはずみにその希望もどきが、じぶんの手のひらや
二の腕を伝って、こちら側につつっ、と来たりしないだろうかと期待
したりしている。
おじさん同士が肩を組むと、その肩はじっとりと汗ばんでいるから、
あとでそっと触れた素手の部分をおしぼりで拭いたりする。しかも、
明らかにときめきを覚えるようなものは、おじさんの身体には載って
いないので、あっさりとそのおしぼりに粘り気だけをなでつけてお終い
にする。
ごくたまに、それでも、いかにも、予想外に。渋く、かっこよく若い
肩には決して載っていない「希望の先にあるもの」がどうどうとその肩を
占領しているおじさんがいる。
ああ、あれはきっと達成感みたいなものなんだろうなぁ…と。ただし、
いくら手を伸ばそうが、つかもうとしようがどうにもならず、それは
肩や背中で鼻歌を歌いながらひらひらと踊っているだけだ。
そういういい感じのおじさんと間違って肩を組んだりすると、私は落ち
込む。同じおじさんなのにと。しかし、落ち込んだことをすぐさま忘れて
しまうのもおじさんの私なので、飽きもせず肩を組み続けている。