moriken office HP

【エッセイ8】玉男くんのこと

在りし日の玉男


確か22歳くらいの頃だったと思う。1匹の猫を飼うことにした。
知り合いが飼っていた猫が子供を生んだので、もらってほしいと
言われ、あまり深くも考えずに飼うことにした。

当時は木造のアパートに母親と暮らしていたが、ほどなく取り壊される
だろうということで勝手に飼ってもいいことに決めた。とはいえ、
別段猫が好きであったわけではない。今でもそうだが、総じて生き物が
好き、と言うことは前提であったが、いわゆる私は猫が大好き、とかと
いったようなことでは決してなかった。

当時はバイト先の軽自動車を借りていたので、それで猫をもらいに行ったのだが、
いかにも小さくてはかない感じがした。片腕でハンドルを持ち、もう片方の
腕でその子猫を持って運転して帰ろうとした。そのとき、私はセーターを着て
いたのでその子猫が爪を立ててセーターに登ってこようとするので、運転中は
けっこう大変だったことを覚えている。

母猫の名前は「ちょっと」だった。だから飼い主はその猫を呼ぶときには、
『ちよっと、ちょっと』と言っていた。その子どもだから、みんなは「ちょっと」
の子どもだから「もうちょっと」と勝手に決めていた。当然、その名前は
却下して「玉男」(オスだった)とした。

さて、その猫と暮らし始めたのだが、いやはや賢いこと。猫がこんなに頭が
いいとは思っていなかったので驚きの連続だった。例えば私がコインランドリーに
行こうとすると、後をついてくる。もちろんリードも何も付けてはいない。
時々寄り道はするものの、私が見えなくならない程度に戻ってきてはずっと
付いてくる。そしてコインランドリーにいっしょに入り、私が洗濯のセットを
終えると、またまたいっしょに出て家まで帰る。これはまるで犬だなぁ、と
私は思っていた。

ほどなくアパートの取り壊しが決まったのでマンションに引っ越しをしたのだが、
先ずオシッコは人間の様子を観察していたのか、洋式便器にまたがってふんばって
いたがどうやら彼には無理であったらしくしょげていた。そこで私が金だらいを
トイレに置いてやって「ここでしてみたら?」と声をかけたら、ものの見事に
金だらいの縁に足をかけてオシッコをするようになった。

うんちはバストイレがひと部屋になっていたので、そのタイル張りの床の上で
したので、そのままトイレットペーパーで取ってトイレに流し、した場所を
シャワーで流した。オシッコは金だらいの中にしたものをトイレに流し、
金だらいを洗うだけだった。

紙を丸めたものを投げてやるとよろこんでくわえてきては、また投げてほしい
と目で訴える。これもまた犬?じゃないの、あんた!?という感じだった。
やがて私がデザイン事務所に勤めるようになりなかなか家に帰ってこなく
なると、彼は私の帰宅を玄関で待つようになった。おいおい、忠犬ハチ公か?

その頃住んでいたマンションは5階だったのだが、玉男君はいつも下駄箱の
上に座り込んで私の帰りを待っていた。そして私の姿を見つけると(下駄箱の
ところに窓があって、外の様子を見ることができた)大喜びでかなり大きな
声で鳴いた。そして、玄関で出迎えてくれた。足音なのか、匂いなのか、彼は
私が帰ってくるのがなぜだか分かるようだった。

木造アパートに暮らしていたときにゴルフの練習をしていたおじさんに近づき、
かなりの力でゴルフクラブで叩かれたようで、以来びっこになっていた。だから
からか人間不信になっていた彼は、私だけしか信用していなかった(ように見えた)。

寒い季節になるとざらざらの舌で私の顔をなめ、ふとんに入れてくれというので
よくいっしょに寝ていた。しかし8歳の時、彼は病気になった。黄色脂肪症という
病気だ。母親が彼に与え続けた竹輪が原因だった。私はキャットフードを食べさせ
ていたのだが、母親はよく竹輪を食べさせていた。その竹輪には水銀がかなり入って
いるようで、人間は身体が大きいのでさほどの影響はないらしいのだが、猫のように
身体が小さな動物にはずいぶんと堪えるらしい。

注射や点滴をしたがもうダメだった。きれい好きだった玉尾君はトイレに向かう
途中で歩けなくなり、お漏らしをした。やがて目が濁ってきてほとんど動けなく
なった。もちろん私も相棒の寿命が尽きることを覚悟した。思えば、私が人生の
岐路に立ち、あれこれ悩んでいたときに、彼はそんな私を見続けてきた。そして、
今風に表現するのであれば、癒してくれていた。(後でそう思った)

すっかり動けなくなった彼は、籐製のかごの中にタオルを敷かれてじっとしていた。
嘔吐した吐瀉物がすっかり色あせた身体にへばりついていた。それでも玉尾君は
その状態のままで生きていた。そして彼がとうとう天に召される前日に信じられない
ことが起こった。玉尾君が私の横に寝ていたのだ。

しかも私はベッドで就寝していたので、彼はかごから歩いてベッドまで来て、
しかもベッドに上がろうとしたら、さらにジャンプしなくてはいけない
はずだ。私は母親に聞いた。「夜、猫をベッドに上げた?」と。

母親はもちろんそんなことはしていない、と言った。そして、その日の
夕方に彼は死んだ。彼にとって私は何だったのだろうか?物言わぬ生き物に
聞くわけにはいかない。たかだか猫の話。こんなことをこうしてブログで
書く私は変なのかもしれない。なんとなく思い出して書いてみたけれど…。