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「入り口を変えるブランディング」3

写真と本文は関係ありません

「入り口を変えるブランディング」3

【ふたつの視点】

ところで、今、書いているこの記述はブランディングについて書いていますが、実は半分はエッセイと
しても面白く読んでもらいたいと思って書いています。
ですから、かなりの頻度で脱線します。
そして今から早速脱線します。

マーケティングという考え方が戦争で勝つために生まれたということは、紛れもない真実だと思います。
しかし「勝つ」ということとは一体どんな状況を指すのでしょうか?
戦争ということであれば、戦っていた敵国が降参すること。
主権だの資源だの労働力だの、言うなれば負けたチームは、勝ったチームに全てを奪われると
言うことです。
けれどもビジネス(経済)という世界観で考えれば、戦争で勝つこととは大きな違いがあります。

なぜなら、全てを奪うことなどできないからです。
仮にマーケットシェアで、あるいは売り上げでいちばんになる。
それは果たして「勝った」ことになるのか?
シェアも売り上げも低くても、それが絶対的な敗北になるのか?
いえいえ、そんなことはないはずです。

また先ほど少し触れましたが「人道的観点」から見れば、正しい勝ち方?であったか、などの
視点が必ず生まれてきます。
原爆を落としたから、戦争が終わった。
いや、終わらせることができた。
これがアメリカの一般的な論調だとすれば、あのように残酷な兵器を使うことによって、20万人以上
もの一般市民の命をいっぺんに奪ってしまうのかはどうなのか?
当然ですが、このような視点(論調)も、片方には必ず存在するわけです。
「勝てばいい」わけではない、ということですよね。

要するに、どんなことにも【ふたつの視点】が必ずあるということです。
これは今後も頻繁に登場します。
ブランディングの話をするときにも必ず現れてきます。
覚えておいてください。
【ふたつの視点】です。

源平合戦の頃、源義経が大活躍してヒーローということになっていました。
鎌倉幕府を開いた頼朝とは異母兄弟です。
義経は子どもの頃に父である義朝が平治の乱で没したので、鞍馬寺に預けられました。
それはつまり武士としての教育を受けることなく成人したということです。
そんな経緯もあって、義経は戦の掟を知ることなく戦いに臨んだので、簡単に言えば狡い勝ち方
ばかりをしてきたのです。
主戦場は壇ノ浦など瀬戸内海でしたから水軍の力がものを言います。
ただここにもちゃんと掟(ルール)がありました。
それは舟の漕ぎ手を攻撃してはならない、という決まりです。
武士には守らなくていけない「人道的観点」があったのです。
それを無視して義経は漕ぎ手を弓矢で次々と殺め、戦いを有利に進めたのです。
なんて狡くて、酷い奴なんだ!
さまざまなところから非難の声が上がり、結果、頼朝は苦渋の決断を下して義経を討つことに
したわけです。
歌舞伎で有名な「勧進帳」は頼朝から逃げる義経と弁慶の逃避行を描いたものです。
(美談になっていますが、いちばんかっこいいのは関所の役人である富樫です)

はい、何度も言いますが「勝てばいい」わけではないのです。

ここで話を戻します。

マーケティングという概念は戦争がきっかけで誕生しましました。
それをビジネスという社会に当てはめて、売れる仕組みを考えていった。
その目標はあくまでも「勝者」となることでした。
それはそれで理解はできるが、どうにもすっきりしない。
理由は本当に「勝てばいい」のだろうか?という疑問です。
また「勝利」というものの定義さえままならない、と。
と考えてくると、ビジネスを戦争と見做すのは正しいのだろうか?
なんて思い始めてしまうのです。

しかも【ふたつの視点】があるという前提をもってすれば、ますます正解が見えなく
なってきます。

再び脱線します。

同業種の企業でもその成り立ちや体系はみな独特だということです。
例えばSONYとPANASONICを比べれば、一目瞭然ですよね。
創業者のキャラクターが全く違います。
Appleのスティーブ・ジョブスはSONYの盛田昭夫さんを尊敬していましたから、
同じようにガレージからAppleをスタートさせたそうです。
その背景にあったのは、あくまでも技術とクリエイティブを両立させたプロダクトです。
翻ってPANASONIC(松下電器)の創業者、松下幸之助さんは町の電気屋さんを組織化
するチェーンストア化を進めて成功しました。
これは経営者として突出したアイデアを具現化したのが松下幸之助。
自らのセンスをベースにそれを反映させたプロダクトを創り出すことを理想としてそれを
成功させた盛田昭夫さん、という言い方ができるように思います。