「入り口を変えるブランディング」6
「入り口を変えるブランディング」6
【外面指数と内面指数】
ここで言う「内面指数」とはその会社が残してきた歴史(ヒストリー)と実績(ストーリー)、そして今までに獲得してきた評判(インプレッション)です。
それらはその企業の「財産」と言うことができるかと思います。
とは言え、創業から長い年月の歴史があるから、その企業は「内面指数」が高いのかと言えば、そういうものではないようです。
つまり一般の人々がその企業に抱くイメージが「内面指数」として認知され、その認知が、尊敬、あるいは羨望に値するものなのかどうかが重要なのです。
「外面指数」は優秀なクリエーターや技術者の力を借りて、優れたプロダクトや洗練された広告、適切なPRによって、それなりのポイントを獲得することができます。
そしてまた「発想重視型」の企業でも「体力重視型」の企業でも、それらの「内面指数」を獲得することは可能です。
例えば「発想重視型」の企業であれば、プロダクトの革新性やデザイン性によって。
また「体力重視型」の企業であれば、その企業戦略やプロジェクトを一気に進める実行力などで獲得できると思います。
その結果として「内面指数」と「外面指数」が合体することにより「ブランド」として認知されることになるのです。
でもここでまた悩ましい疑問が生まれます。
果たして、どのような業界でも「ブランド」と呼ばれる付加価値は通用するのか、ということです。
水野学さんの著書の中に、タイムマシンで江戸時代に行ってロレックスとGショックとどっちが欲しい?と聞いたらどっちを選ぶと思いますか?という話がありました。
答えはもちろん、Gショックではないですか、ということなのですが…。
これは踏み絵のようなものですね。(笑)
私自身は、どっちも要らない、と答えるのではないかな?と思いましたが。
なぜなら時間というものに対する向き合い方が今と江戸時代では異なるからです。
つまり多くの人たちが「時計」(腕時計)というプロダクトを所有しているのなら別ですが、ほとんどの人が持っていない時代に、時計なんて不要だと思うからです。
朝、陽が昇ったら仕事を始め、陽が沈んだら家に帰る、雨が降ったら仕事はしない(業種によりますが)みたいなライフスタイルの時代に、時間を知るためのツールは必要が無いわけです。
そしてまたこんなことを考えました。
時代は今、現代です。
ロレックスと全く同じデザイン、中のメカニズムも材質も同じ、もちろん価格も全く同じ腕時計があります。
違うのは盤面に記されたロゴのみです。
片方にはROREX、もう片方にはMORIKENと刻まれています。
さて、どちらを選びますか?
考える必要も無いほど簡単に答えは出ますよね。
そうです!ROREXです。(講演でこの話をすると、必ずMORIKEN!と言ってくれる人がいますが 笑)
これでよく分かりますよね。
多くの人々は(この話であれば)欲しいのは時間を知ることができるツールではなく、できれば誰もが知っていて、その会社の時計は高額だということも周知されている水戸黄門の印籠なのです。(笑)
どうしてなのでしょうか?
ひとつは、その「ブランド」を所持していることが、自慢できる(あるいは自尊心を満足させられる)と自覚できることです。
社会的な位置や収入面における優位性、然るべきヒエラルキーに属していることを、それら「ブランド」を持つことによって知らしめることがオートマチックにできるからです。
これはとても便利な機能ですよね。
私はお金持ちだ!なんて言わなくても勝手にそう思ってくれたりするわけですから。(笑)
とここまで書いて思うのは、あれ?クリエイティブを重視した物差し=センスは、どこへ行ったの?ということです。
実はここに大いなるパラドックスが存在するのです。
さてそのパラドックスとは何なのか?
はっきり言います。
そのパラドックスとは「思い込み」という言葉に限りなく近い心理のことです。
宗教に近いかもしれませんね。
やれ「クリエイティブ・ブランディング」が重要です、などと言っていながら、それはおかしくありませんか?
と思われても仕方がありません。
ある「ブランド」が市場に送り出している「プロダクト」は、そんなにセンスがいいものなのか?
あのマークは本当にかっこいいのか?
いや、むしろあんなに高額なのはおかしいのではないか?
考え始めればおかしな矛盾が続々と見つけられます。
ある自動車メーカーはマークを変えて、莫大な予算をかけてアウトプット(外面指数)の表現から日本色を排除して、あたかも外国の自動車メーカーのような見せ方をすることによって、見事にブランディングを構築してしまいました。
そこに「内面指数」は存在していたのでしょうか?
あからさまに言えば、限りなくゼロです。
実はそのメーカーは既存の巨大な自動車メーカーが新たにつくった高級車ラインなのですが、それまでの「内面指数」「外面指数」では、高級車ブランドとしては認知されなかったのです。
それでもそのメーカーは「ブランド」になり得たわけです。
ではどうやったのか?
それこそが「思い込み」という信仰心に近い感覚です。
宗教のメカニズムに詳しいわけではないので、ここからは私の推測ですが、繰り返し同じことを訴え続け、それを反芻させると、やがてなにがしかの事を信じ込むようになります。
また今の時代では潤沢な予算さえあれば、多くの人々に「思い込み」をさせることは不可能ではありません。
周到な準備をして、ありとあらゆるメディアでその「呪文」を反復・拡散すれば、その企みは叶うのです。