「入り口を変えるブランディング」4
「入り口を変えるブランディング」4
【マーケティングからブランディングへ】
ここまでのことから、私が勝手に推測するとすれば、企業であったりチームであったり、俗に組織と呼ばれる団体は
「発想重視型」と「体力重視型」のふた通りのパターンがあるように思えます。
それらを踏まえて考えれば「体力重視型」の組織には、マーケティングという概念がある程度は通用する部分が
あるのではないか、と考えます。
また「体力重視型」は、言い換えれば「データ重視型」と呼ぶこともできるかもしれません。
わかりやすく表現すれば、体力を数値に置き換えてデータ化します。
そうすれば力を具体的に知ることができるからです。
但し、繰り返しますが、想定外のことについては対応できないという落とし穴があります。
マーケティングという勝利の方程式を獲得して第二次世界大戦に勝ったアメリカは、しかしベトナム戦争では
実質的な敗北を喫しました。
当時の米国防長官マクナマラは、戦争における相当量のデータを駆使してベトナム戦争に臨みました。
けれども最終的には莫大な予算と兵力を注いだこの戦争に負けたのです。
なぜなら、想定外、計算外、要するにデータからは計り知れないことが重なったからです。
そしてこれは別の視点から眺めればフランスからの独立を目指した北ベトナム軍は「発想重視型」の戦い方を
貫いて勝利したように見えるのです。
意表を突くゲリラ戦はまるでアメリカのデータを重んじた戦略をあざ笑うようでした。
これではっきりしましたね。
「体力重視型」をベースとした「データ重視型」では、勝てないのです。
やや乱暴な表現になるかもしれませんが、マーケティングという学問は、言うなれば市場における原理原則の
基礎知識を学ぶものかもしれません。
また、マーケティングというものがあったからこそ、ブランディングという考え方が生まれたわけです。
なぜならマーケティング概念からは、どうしても割り切れないことがいくつもの事例からあぶり出されてきて、
それをどう解決すればいいのだろうか?
といった悶々から解放されるために多くの人が「ブランディング」という呼び方で新たな「腑に落ちる理由」を
探し始めたのです。
そもそも「ブランド」という言葉の意味は、みなさんご存知かとは思いますが、牛の焼き印です。
アメリカの西部開拓時代、カウボーイたちは自分たちの牧場の牛を連れていろいろなところを旅していました。
それは牛たちに牧草を食べさせるためでもありましたが、当然のように他の牧場のカウボーイ(と牛たち)と
遭遇します。
その際に自分の牧場の牛だということが判別できるように、熱した鉄の印を牛たちに押しつけていたわけです。
牛にはいい迷惑ですが、これを「ブランド」と言っていました。
目印、という言い方がわかりやすいかもしれません。
目印、ということは「うちの牛だぞ〜」ということが誰にでもわかるということです。
あたかも有名ブランドによくあるマークみたい、いえ、マークそのものですね。
ここでひとつはっきりしたことがあります。
それは他とは違います、ということを、きちんと伝えることが、とても大切なことだということです。
何かを売りたいと考えたときに、他の会社のものと同じではありませんよ。
うちの会社の商品の方がいいものですよ。
そんなうちの会社の製品にはこんなマークが付いていますよ。
これこそ即ち、差別化へのスタートですよね。
(もちろん商品が本当にいいものでなくてはなりませんが)
でも、そのマークは消費者から見た時に「かっこいいと思われるマーク」でなくてはいけません。
さてここでまた新たな疑問が浮かんできます。
「かっこいい」って、誰が決めるものなの?という問題です。
実はこの問題はとってもやっかいです。
人気ブランドのプロダクト、マーク、CM、ポスター、その他諸々。
本当にそれらはデザイン的に見て優れたものなのでしょうか?
これらを仮に「外面指数」と呼ぶことにします。
この指数が高ければいいデザイン、つまり「かっこいい」ということになる、とします。
いや、まだ肝心なことが曖昧なままになっています。
誰が「かっこいい」を判断するのか?「外面指数」が高い、と決めるのか?
こんな話はしょっちゅうありますよね。
みんなはいいデザインだと言うけれど、自分はそう思わない。
さあ、世界中の誰が見ても、全ての人がが「かっこいい」と思うものはあるのでしょうか?
きっぱりと言いますが、そんなものあるわけがない、ですよね。
人には趣味嗜好がありますから、誰も彼も全員が「素晴らしい」「きれい」「かわいい」「面白い」
「おいしい」…なんていうものはこの世には存在しません。
こころの中で感じたことと、違うことを言う人だっています。
へそ曲がり、なんて言われる人はその典型です。
だって、みんながみんな同じような意見だなんて面白くない!と考える人もけっこういます。
ばぜなら、私がそうだからです。(笑)